【昨日のnote記事のまる写し】
https://note.com/hirafujijun/n/n13b58bbf8a0a
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代替の大会は、そもそも誰のためなのだろう/伊坂幸太郎の小説から
Confirm again the purpose of the alternative tournament.
Inspired by the novel written by ISAKA Kotaro.
■全国大会代替地方大会への補助
文部科学省は「令和2年度文部科学省第2次補正予算(案)」で「スポーツイベント再開への支援」を 20 億円 要求しました。
内容は、
・全国高校総合体育大会や全国中学校体育大会、全国高校野球選手権大会の中止にともない、代わりの大会を都道府県レベルなどでおこなう場合には開催経費を補助しますよ
・そして、スポーツイベントの再開・開催を進めますよ
というもの
https://www.mext.go.jp/content/20200527-mxt_kaikesou01-100014477-000-1.pdf
■岩手県の高校体育連盟は代替大会を開催しない
今日・5月28日の岩手県の新聞・岩手日報には「高総体 代替大会を断念 県高体連、感染リスク考慮」という見出しでこういう記事が載っています。
・岩手県高体連は、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった県高校総合体育大会の代替大会開催を断念
・感染リスクを完全に払拭できないことなどを踏まえて判断
https://www.iwate-np.co.jp/article/2020/5/28/78760
■だれのため何のため
(お金出るんだから、やればいいのに)
(緊急事態宣言も解除になったんだから)
(三年生がかわいそうだから)…というような声が聞こえてきます。
マスコミでは、
(やりたかった)(残念でならない)という、三年生や指導者の気持ちを次から次へと報道しています。多くの人が、その気持ちに寄り添っているでしょう。中学生・高校生を思いやる、ありがたい気持ちです。
でも、ここで一度、
代替の大会は誰のためになんのためにやるんだっけ…ということを確認しなければなりません。
■「逆ソクラテス」の中に
伊坂幸太郎さんの小説「逆ソクラテス」 https://amzn.to/3cadz9c の中の文章を、端折りながら、引用します。
「そうか、僕のためじゃなくて」読んでいて息が止まりそうになりました。草壁の声がそこで、少し強くなった。
「これからの子供たちのために、なんだね」
…
仮にあれが、沈んだ学校生活を送っている草壁のために、いい思い出を残してあげたい、という憐れみにも似た動機から発生した計画であったら、たぶん草壁は参加してこなかったであろう。
…
安斎の目的は、草壁をすくう目的ではなかった。未来の後輩たちのためだ。草壁は、自分も救う側の人間になれるからこそ、乗り気になったのではないか。
私たちは、
沈んだ学校生活を送っているであろう三年生に、いい思い出を残してあげたいという名目で、
実は、大人の思い出を残そうとしているのではないか…
そして、部活動をしてきた中学生・高校生を「これからの子供たち」のために活躍してもらおう、つまり「育成」しようとしているのではなく、
彼らを思い出として「消費」することしか考えていないのではないか…
と思ってしまったのです。
伊坂さんが書いた
「自分も救う側の人間になれる」チャンス、を提供しているのだろうかということです。
■救う側の人間
いかがでしょう、たとえば、
次の感染症大流行の時の中学生・高校生を救うためには、どういうカタチのイベントができるか…ということを、
今の中学生や高校生に考えてもらい、実行してもらう。
大人は、考えることと行うことのお手伝いをする。
こうすれば
「沈んだ学校生活を送っている」中学生・高校生を救うことだけではなく、彼らが「救う側の人間」になることができるように思えます。
もちろん、違う方法もあるでしょう。
みなさんも、一度、考えてみてくださいませ。