今日は何も書くことがありませんので、得意技の「人の褌で相撲をとろう」作戦で行きます。
とはいうものの、
本当は、書くことがないのではなく書けることがない…という状況だったりしています(汗)
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スポーツライター・
玉木正之さんの
「Camerata di Sport」というサイトの「蔵出し新着コラム」というところに、
日本体育協会が季刊で発行している『指導者のためのスポーツジャーナル』(2011年秋号)の「スポーツ草紙」というコラムにお書きになった
『「体育」では「体づくり」だけでなく「スポーツの歴史・文化」も教えてほしい』
と題した文が載っていました。
私は、一応、
日本体育協会公認指導者ですのでこの雑誌が送付されてきます。
だいぶ前に読んでいて、
これは、是非、全文を読んでいただきたい文章ですし、
これを読んで、是非、体育・スポーツについて考えていただきたいものだと考えていました。
しかし、
雑誌を丸写しスキャンも申し訳ないし、力づくで写すのも大変だし…と思っていたところ、
著者のサイトに全文が載りましたので、リンクした次第です。
雑誌にはない「まえがき」がついていました。無礼を承知で引用します。
この原稿は、公益財団法人日本体育協会が季刊で発行している『指導者のためのスポーツジャーナル』(2011年秋号)という本の「スポーツ草紙」というコーナーに書いたものです。世の中には「体育」という「間違った名称」のもとで「スポーツ」に携わっている人が多いのですよね。東京五輪2020年招致に向けて、微力ながらそういう考えを是正したいという気持ちを込めて“蔵出し”します。
結びの3段落はこうあります。失礼をお詫びしながら、これまた、引用します。
いや、大切なのは「五輪招致」ではないはずだ。招致運動をきっかけに市民のスポーツ環境が整備され、住環境が改善され、暮らしやすい幸福な都市作りにつながる……というのなら、たとえ招致に失敗しても、五輪開催に立候補する価値はある、といえるだろう。また、それなら、「招致反対」「税金の無駄遣い反対」と言う人々も説得できるに違いない。
前回1964年の東京オリンピックは第二次世界大戦の戦災からの復興五輪で、二度目は東日本大震災からの復興……というのは「歴史認識」を含む考え方かもしれないが、「文化認識」が忘れられている――たぶん中村敏雄先生は、そう指摘されるに違いない。
「体育教育」は、子供たちの「体作り」や「チャレンジ精神」「競争心」「協調性」などを育むだけでなく、「スポーツの歴史」や「スポーツ文化」を教える場でもあるはずだ――。
私が勝手に太字にした部分に痺れています。
「五輪招致」を「予定どおりの時期の国体開催」と入れ替えて考えてみたいのです。
しつこいようですが、
全文を読んで考えてみてくださいね。(全文の
リンク切れ用心のpdf)
体育とスポーツ、感覚と思考、反射と判断…曖昧なままにしておかないで、きちんと考えてみなければいけないことです。
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◇まったく意味が分かりません!
しかも下品!
◆な、なにが!?
◇人の糞として、相撲をとろう…なんておっしゃって。
◆人のフンドシ!