第63回岩手県高等学校総合体育大会に行ってきました。
昨日は、「みる人」。
紫波町の紫波町総合運動公園野球場で軟式野球(準決勝 専大北上6-3盛岡第一)、
途中「はらぺこ」によってから(石臼もり)、
紫波町の紫波自転車競技場で自転車競技(チームパシュート、チームスプリント、1km速度ほか)
のルートです。
今日は、「支える人」。
紫波町の東部周回コースで自転車ロードレースの係員です。
今日は、めずらしく「コース内」に配置していただきました。レースを見ながらの係員はいいものです。
【レースは序盤(9周中の2周目)。まだ集団で走っています】
いずれ、
審判員・係員が気になった二日間でした。
*****
昨日の新体操のお話です。
演技会には何度も行っているものの、県の「新体操の大会」に行ったことは、もしかするとはじめてかも知れないことに気がつきました。
演技会と大会の違いは、審判が採点するかどうか…ということです。
マット脇の審判員席には10人ほどの審判員が座ります。
男子の審判席の平均年齢は、どう見ても、20代です。
驚きました。こんなに若い審判員が揃っている審判席を見たことがありません。
がまんできなくて、近くにいた体操協会の役員の方に聞きました。
平:あの審判の方々は、ここら辺の方々ですか?
役:ああ、そうだよ。盛岡市立高校の卒業生だよ。
平:卒業しても、新体操、やっているんですか?
役:ジュニアチームの指導者としてやってるらしいよ。でも、なんで?
平:ずいぶん、たくさん若いがいたので、気になったものですから。
役:毎年、1チーム分ずつ卒業生が出ているからね。
うまく回り始めているんだな…と思うと同時に、
日本トップレベルのチームを作り上げる、岩手の男子新体操の人材活用システムを垣間見たような気がします。
*****
今日の自転車のお話です。
係員受付で「役員配置」を渡されました。
様々な係に多くの人たちの名前が記載されています。
バイク隊を見て(あれっ!?)と、思いました。
名前の後ろに括弧書きで(訓練生)とあります。
これまで見たことのない表記でした。
自転車のロードレースにはたくさんのバイクが必要です。
今日は、
審判を載せて一緒に走ったり、選手を先導したり、集団の後ろを守ったりする「バイク隊」が9台、
田んぼに行く軽トラックやお墓参りに行く乗用車を誘導したりする「ャCント隊」8台
合計17台のバイクで競技会の運営がなされています。
自転車競技は競技人口がそんなに多くありませんから、役員・係員もそんなに多くありません。
昔、理事長をなさっていた方や高体連の専門委員長をなさっていた方なども、
「立哨員」として今でも道路に立っています。
しかし、
新しい人を入れることも忘れてはいません。それが「訓練生」のようです。
自転車競技経験者としてではなく、バイク愛好者から自転車競技関係者を作ろうとしています。
(まず、一回、手伝ってみて。教えるから)
が訓練生でしょうか。
新体操とは形態が違いますが、こちらも、すごいシステムだな…と感心しました。
*****
実は、私も今日は「訓練生」でした。
「牛の頭」の手前の「小豆坂」をちょっとすぎたあたりの「9番」にいたのですが、
そこには、某町の議員さんで元理事長の方が立哨員としておられました。
つまり、「正」と「訓練生」の立哨員が二人配置となっていたのです。
「9番」は「牛の頭」の直角カーブの手前で拡声器から警報音を出して、選手のスピードダウンを促す仕事があります。
レース前半は「正」立哨員さんが、選手が通るたびに警報音を「ぽぽぽぽぽぉ」と流しておりましたが、後半になると、時々持ち場を離れるので、私が警報音を出しておりました。
たぶん、私は十分に任務を全うしていたのでしょう、最後は私が任される形となりました。
(あ、今日は、9番の訓練だったんだな!)
コース内の交差点はもちろん、コース外の迂回のお願い、急カーブ前の減速指示…
ほとんどの立哨ャCントで仕事ができるように養成されつつある、私です(笑)。
レースが終わってお弁当を食べて帰るときに、役員の方に、こういわれました。
(来月、全日本選手権があるんだけれども…25日と26日の土・日。大丈夫…だよね。)
**********
5月27日の岩手日報「日報論壇」に「国体は順番変え実施を」というご意見が載っていました。
このお考えを読んで、大切な事を忘れていたことに、気がつきました。
今回の震災は国家を揺るがす規模の大災害である。そのような時に「国体の順番は決まっているから…」などと平気で語ることは正常なものの考え方であろうか。こういう時こそ、常識にとらわれない発想が必要だと思われる。常識にとらわれない発想…私もそのとおりだと考えます。
さらに、
2009年に、私はこのブログで「トキめき新潟国体」に関連して、
「高め合う」と題して次のように書いていたことも、すっかり忘れていたのです。
「競技力の向上だけでなく人間的にも『高め合う』ことができる『スポーツ文化の創造』」だそうです。自分で自分に「ギャフン」と言わざるを得ませんね。これが、国民体育大会の、いや、もっと広く、すべてのスポーツイベントの根本でしょう。
この秋の「トキめき新潟国体 本大会」も、
「感動する人」をたくさん育て、その意味で大成功するに違いありません。
ふりかえって、私たちは、2016年の岩手国体に向けて「高め合って」いるのでしょうか。
ひとり、自分のことだけを「高めよう」としていないでしょうか。
反省しなければなりません。