今朝、家を出ると、隣のビルの壁の工事のために足場を組む人たちが、私の家の前で車から降りてきました。
若い人たちでしたが、私を見ると、それぞれがきちんと私の方を向いて「おはようございます」と挨拶をしてくれます。
とても良い気持ちの朝だなあと感じると同時に、「おそるべし!足場屋さんの教育」…と恐れ入りました。
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今日、回ってきた「内外教育」という情報紙に、全国連合小学校長会会長の向山行雄さんのインタビュー記事が載っていました。
=$V学習指導要領を控えて各学校はどういった心構えが必要かなるほど、そのとおりだな。「変わらない部分」が疎かにされているのかもしれないな…と感じて午前の会議に出かけました。新教育課程の先行実施が2年目に入った。昨年4月からは、全国の校長先生にも、教職員にも、保護者にも、新学習指導要領の趣獅�理解してもらわなければならない、つまり、変わる部分について、分かってもらわなければならないし、対応もしなければならにないと考え、訴えてきた。
しかし、2年目は、変わらない部分の善さ、変わる部分を踏まえつつ、わが国の伝統的な初等教育の良さを再認識してゆく年でありたいと考えている。
これまで、指導要領を改訂するたびに、変わることばかりに力点が置かれてきたように思う。
<略>
ところが、もっとも変わらない部分、骨太の部分が、脈々と伝えられてゆくことを確認していかないと、軽薄なうわべだけで流れることになってしまう。ここ数十年はそういう歴史だったと反省を込めて思っている。
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会議は2016年の国民体育大会の「基本構想」について考えるものでした。
観光協会の肩書きを持つ参加者の方がこういいました。
▼昭和45年の岩手国体の時は、「隣同士がたすけ合う…結(ゆい)の精神」があった
▼今は、街には「結」の精神は見受けられない
▼観光の立場から言うと、「結」のない街は「魅力のない街」である
▼国体の開催を契機に再び「結」を取り戻したい。そのことを、基本構想に入れるべきだ。
思い出したのが、
昭和45年の夏に宮古市の崎山美伊さんが書いた「麦茶の味」という回顧文です。
1日のお手伝いを無事終え、私にとって貴重な体験を得て夕闇に家路を急ぐ。観光協会の方が仰ったことに大きくうなずいた事は言うまでもありません。さっぱりした気持ちで我が家の玄関に立ったら……洗濯物が入れてあるのです。
小学校4年生の娘に聞けば、お隣の奥さんのご親切らしい。
赤ちゃんがあって国体のお手伝いを出来かねると残念がっていた奥さん。
早速、お隣に
「あなただって参加なさっているじゃありませんか」と言わずにいられなかったのです。
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ある団体の肩書きを持つ方がこういいました。
▼昭和45年はこれから岩手県の人口も増え、右肩上がりに発展していった時期である
▼6年後の国体の時には、人口の減少をはじめ「右肩さがり」の停滞期であろう
▼昭和45年の国体と今回めざしてゆく国体は大きく異なる性格を持つべきである
▼根本から見直すべきである
それも、そのとおりだな…
とは思ったのですが、会議前に読んで出てきた文章がどうも気にかかり釈然としない部分がありました。
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◇本質は変わっていないはずだ…という考えが引っかかりになっているんですよね。
◆そう。
学習指導要領の話じゃないけれども、変わらず継承されるべきものは、一体、何なのだろう、
国民体育大会にだって必ずそれはあるはずだ…と考え込んでしまうよね。
◇もしかすると、その考えは保守的と否定されるかもしれませんね。
「根本から」って仰った方も、
変わらないものについてはちゃんとお考えになったうえでの発言だと思いますよ。
◆私もそう思っているさ、その発言については。
でも、
一度、脈々と流れる本質はなんなのだろうかと考えることも大切だと思うよ。
私は、
洗濯物を取り込んでくれた隣の奥さんが「国体に参加している」と考える人たちのいる街が、
とても、好きなんだけれどもね。
そんな街を作りたいんだけれどもね…
◇何か、よくわかりませんが、わかるような気もします。
でも、「伝統と自由発想の同居」が必要でしょう!? つまり「不易流行」ということですよね。
◆そうそう。よく言った! 松尾芭蕉だよね。
◇えっ!? ば、芭蕉?
私の知っているのは、大阪にある「ノリ屋さん」ですが?こんな可愛い糊を作ってるんですよ!
「伝統と自由発想が同居する安心企業」不易糊工業株式会社
◆ぎゃぁ!?