「メダルを取るような世界トップレベルの選手と、才能はあっても成績はそこそこの選手の違いは何か?」と問われたら、私はいつもこう答える。「自分自身の明確な意志を持ち、それを自分自身の言葉で語って行動できる選手か否か」。これが取材者としての正直な実感である。ふぅ。
日暈と環水平アーク
昨日、私が見た「二重円の虹」は「虹」ではなく「日暈(ひがさ)と環水平アーク」と呼ぶのだそうです。
山形新聞と、信濃毎日と、読売新潟版には、写真が載っていました
生まれてはじめて見たものは、それまで見たものの仲間だと思う傾向にあることがわかりました。
「何だろう、あれ」と思わずに「あ、丸い虹だ」と瞬間的に思うのは、なにやら危険な気がします。
(こうなってしまったのならば、経験値を高めてこの先を過ごすしかないな…)
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週刊朝日の4月30日号だったと思います。
スポーツライターの金子達仁さんが連載しいてる「勝ってみやがれ!」というコラムに書かれていた言葉が思い出されました。
詳しくは忘れてしまったのですが、
もう一息の指導者を「根性論と経験則のみで指導している指導者」と呼んでいたように覚えています。
「日暈」を「虹」と決め付ける私も「経験則のみ」で生きているのかもしれません。
しかも、決め付けの原因を「経験値不足」と考え「経験値を高め」ることで解決しようとしています。
考えてみてください。
経験したこと以外は指導できないとするならば、ウサイン・ボルトを超える100mランナーの指導は誰も出来ないことになります。
当然、この世に「世界新記録」は生まれないわけです。
それは、事実に反していますので、経験則を超えたコーチングが存在しているはずです。
ある程度の経験に基づいて
「やったことはないが、考えればこうなるはずだ…」という仮説をもってものごとにあたっている人たちがたくさんいると思います。
その人たちが、新しいことを開発し、世界をリードしてゆくんだろうなぁ…と考えた瞬間、
今度は、
これもスポーツライターの茂木宏子さんが「日本トップリーグ連携機構」の「スポーツエクセレンス」というコラムに書いていた文章がまたまた思い出されました。