"After COVID-19" must not be equal to "Before COVID-19"
And we are with "COVID-19" still.
間違えないように!
アフターコロナはビフォーコロナではない。
そして、
今はまだ、ウイズコロナ。
調子に乗っていはいけないし、アフターコロナの準備をする時期だと思う。
今朝の新聞の一面トップ記事に振られた見出しを見て、ビックリ仰天。
「旧計画踏襲」
新年度を間近にし、
そろそろ学校も再開、部活動も再開という雰囲気ですが、
私はとても心配しています。
さあ、再開だ!旧計画の踏襲だ!もとに戻そう!遅れを取り戻そう!…となることを。
***
私たちは「再開」について
感染症のピークをやり過ごし、以前の形態の活動に戻すこと…だと、間違って認識しているようです。
言葉を換えれば
アフターはビフォーに戻すことという誤解、旧計画を踏襲し続けるという誤解を持っています。
パンデミックを経験中であり、そして、将来このようなことが起きる可能性が考えられる時、
アフターがビフォーと同じでよいとは、到底、考えられません。
何かを変えて、終息後のスポーツに「レガシー」を残すべきだろうと考えます。
***
希望郷いわて文化大使・ブランド戦略コンサルタントの村尾隆介さん(→Link)は新しい価値曲線についてこの図で説明しています。
部活動やスポーツ活動ができなかった期間に
ビフォーコロナの活動の、
なにを減らして、なにを増やして、なにを取り除いて、なにを付け加えて、
どのような新しい価値曲線を持つアフターコロナの事業を作り出すのか…
ということを考えていた人は、どのくらいいたでしょう。
活動やイベントを行わないという、感染経路に関する対策や
エクササイズの動画などを提供して、人の抵抗力を高める対策は目についたのですが、
あり方や枠組を考えるような動きは見られませんでした。
まだまだ、時間はあるのです。
でも、始めなければ始まりません。
まず、
アフターコロナはビフォーコロナと同じではいけないのか、
同じではいけないとすれば、なにを変えればいいのか、
同じで良いとすれば、どうやって元に戻し、
次のパンデミックの時はどう過ごすのか、
そして、
ウイズコロナの今、スポーツはどうあればいいのか
などということを、一人ひとりが考えてみることから始めませんか、今晩から。
***
震災後に出会った本にこういうことが書いてありました。
つまり、ぼくにとって「出版社をつくる」ことは、「未来の出版を築く」ものでなければならなかった。でなければ、どこかの出版社で、これまでどおりの活動をしていればいいだけだ。とても大切なことですよね。もちろん、それを否定しているわけではない。ただし、自覚的であるべきだとは思っている。
何に対して自覚的であるべきかといえば、いま自分たちが精を出してやっている活動は、「かつて」よくできていたシステムに乗っかってのものであるということに対して、である。
あくまでも、現在乗っかっているシステムは、延命措置でしかない。そして、おそろしいことに、ぼくたちはそのシステムの上で、がんばればがんばるほど、「延命」に加担している。望むと望まざるとにかかわらず。