がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

中島智さんのTwitter記事から/全員が同じものを…ではないはず

芸術人類学者・中島智さんの、今朝のTwitter記事です。

「上機嫌でなくば不機嫌ということはないし、権威主義でないなら反権威主義ということにもならない。Aでないものは非Aとして正確に把握すべきものだ。
けれど二分法というものはAでないなら反A、もしくはBにちがいないと考えさせる。この反A/Bというのは、その潜在的嫌悪/羨望の投影にすぎない」
中島 智 on Twitter: "「大人になっていくということはね、ものをゆっくりした速度で、正確に、確実に、ゆっくり考えていくということができるようになるのが、大人になるということだと僕は思っています。」大江健三郎"

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私が心配しているのは、
みんなが同じでなくてはいけない…という、これまでの部活動の考え方、
たとえば
かつて行われていた部活動への全員加入のようなことが、部活動改革で起きはしないだろうかということ。
(部活動の全員加入は、クラブ活動が必修だった1969年(改定年)からの29年間の置き土産だろうと推測しています[→ LINK ])

部活動改革の中の「地域移行」という言葉を吟味することなく
(今は、国も「地域連携」「地域移行」という概念を並列させています[→ LINK ])
部活動は全員が地域でするもの…という考え方に支配されていないだろうかということです。

学校でスポーツをしたい中学生、学校ではないところでしたい中学生、
スポーツではないことを学校でしたい中学生、学校ではないところでしたい中学生、
部活動で中学生を教えたい学校の先生、学校ではないところで教えたい先生、
中学生を受け入れたい地域のクラブ、地域の大人で活動してゆきたいクラブ…

「上機嫌でなくば不機嫌ということはないし、権威主義でないなら反権威主義ということにもならない。Aでないものは非Aとして正確に把握すべきもの」

まさに、そのとおりだと思いました。
A案でなければだめなのだ…ではないはず。
「困る人」を取り換えるだけの改革ではあってはならないのです。

■Twitter記事の全文
「大人になっていくということはね、ものをゆっくりした速度で、正確に、確実に、ゆっくり考えていくということができるようになるのが、大人になるということだと僕は思っています。」大江健三郎

ゆっくり考えられること。それは両義性を視ていけることである。逆に、即断してしまうこととは、ものごとを二分法で捉えてしまうことである。先生に服從しなければ、反抗してると即断してしまうこと。冷たい親か、優しい親か、差引きで考えてしまうこと。ものごとが視えるとその両義性がわかってくる。

上機嫌でなくば不機嫌ということはないし、権威主義でないなら反権威主義ということにもならない。Aでないものは非Aとして正確に把握すべきものだ。
けれど二分法というものはAでないなら反A、もしくはBにちがいないと考えさせる。この反A/Bというのは、その潜在的嫌悪/羨望の投影にすぎない