がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

がんばりましょうね!

3月16日に仙台大学の勝田隆先生(JOC情報戦略部会長)の講習を覗く機会があった 『コーチングのためのコミュニケーション・スキル』という講座でしたが、ティーティーチングを取り入れての、ワークショップ形式で行われ『動きのある』もので、私も、大変、勉強になりました その先生の作られた資料の裏表紙には
すべての「人」が、 「スポーツ」と 豊かに関わる権利を持っている その権利を保障するのは その権利を守るのは 誰だ……
との言葉が… 頑張らなくっちゃ と 反省しきりです 参考までに【勝田隆.「知的コーチングのすすめ」.大修館書店】から
■競技スポーツに向き合うための「覚悟」  競技スポーツは一人ではできない。相手がいなければできない。集団スポーツでは、双方併せて複数の人数をそろえなければならない。  また、ひとりで一生懸命努力しても、相手がそれなりのレベルにないと面白くないし、対戦者や対戦チームが歯ごたえのある相手でなければ面白くない。時に、痛い思いも、きつい経験も、また危険なこともある。  このように考えると、競技スポーツは「やる」ことに覚悟のいる行為であり、だから価値があると言える。何でも手軽に簡単に欲しい物が手に入る現代社会において、また、大勢の人と協力して額に汗しながら何かを創りあげていくことが少なくなった現代において、競技スポーツを選び「やる」ことは、すでに特別な機会を手に入れたことにならないだろうか。  また、競技スポーツは「不平等」で「残酷」なものである。なぜならばどんなに努力しても、次に勝てる保障はどこにもないからだ。  スポーツの勝敗は誰の目にも単純で明らかである。どんなに悔しくても、腹立たしくても、それを受け入れ、新たな挑戦のために自ら立ち上がるしか手がない。すぐにうまくなる薬も、勝てる魔法も、絶対に存在しない。暴れたら欲しい物を買ってくれる親がいたとしても、技術や体力、勝利は買うことができない。  だから、スポーツは素晴らしいのだ。  競技スポーツの中にある「不平等」と「残酷さ」が、スポーツの価値を高めていると考える。競技スポーツと関わる限り、すべての人間が、この「誰にも手出しできない不平等と残酷さ」と正面から向き合わなければならない。  「やること」自体に覚悟を要する競技スポーツで、さらに大きな壁に挑もうとしているプレイヤー達に、心からの敬意と拍手を送りたい。コーチとして、彼らとともに歩む喜びと誇りを、素直に表現できるコーチングがしたい
皆さんも、どんな形でもいいですから、スポーツの支援者←『支える・援(たす)ける』人にもなってくださいね。お願いします! 【追】あぁ、コーチに戻りたい!