がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

私の「きび団子」を確認する

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今朝、出がけに、仏壇の前にあった岡山みやげの「廣榮堂 元祖きびだんご」を(おお、おやつに!)と持ってきました。
カバンに入れたのが失敗だったようですが、気がついたことが。

きび団子は三つ

きび団子は、三つ持ちました。
元祖きびだんご・抹茶きびだんご・白桃きびだんごの三種類だったのでその三つとお思いでしょうが、
本当は、犬とサルとキジが寄ってきたときに足りなくならないように、三つにしたのです。
でも、
だれも、きび団子をくれとは言ってこなかったのです。
変だなあ…

歌とお話を調べた

おかしいなあ…と、童謡の歌詞を調べました。
犬もサルもキジも、何の脈絡もなく「腰につけたきび団子をくれ」と言い寄ってくるのです。
そして、桃太郎は
「鬼の征伐に行くならあげる」と言います。
(「世界の民謡・童謡」というサイトから→ ここ 

おや? と思って、お話も調べてみると、ちょっとニュアンスが違いました。
犬、サル、キジは
まず、桃太郎に行き先を聞き、
そして、腰に下げたものを問い、
きび団子と知って、鬼退治に行くことを承知のうえで、ついてゆくから一つくれとねだります。
(「桃太郎」、楠山正雄、青空文庫 ここ 

どちらにせよ、
童謡や昔ばなしからみる限り、
腰につけた袋が見えたこと、その中味がきび団子だったことで、
犬、サル、キジは、一緒に行くことになったのです。

そういえば、
私のきび団子は、カバンに入っていて、気配すら感じさせなかったから、
きび団子ちょうだい!と言ってくる人や動物や鳥がいなかったんだな…と気がついたのです。

今度は、巾着袋に入れて腰に下ることにします。

人を集める方法は

ふと、思ったのです。
もしも、桃太郎が、
のぼり旗に「日本一」ではなく「鬼退治」と書いていて、
きび団子の袋が外から見えないようにしていたら、
犬、サル、キジは寄ってこなかったんだろうな、と。

もしかすると
「意義あること」よりも「楽しそうなこと」が見えないと、だれも近づいてこないのかもしれないと考えたのです。

とはいえ、「意義あること」のためには「きび団子」はいらないよ…という方々もいらっしゃることは知っています。その働きぶりには頭が下がるのですが、
私は、きび団子が見えないと寄ってゆかないタイプです。
他にも、そういう人はいらっしゃるでしょう。

私の「きび団子」はなんだろう

じゃあ、私のきび団子は何だろう…と考え込んでしまうのです。
私の在庫をチェックしなければなりません。
そして、
日本一のきび団子が見つかったとしても、それを他の人が見えるように展示しなければなりません。
他の人に知られていないことは、無いことと同じです。

私とっても、岩手のスポーツにとっても、
在庫チェック、展示チェックが必要だな…と感じた、きび団子のおやつです。

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【思い出したので、忘れないように】

 こうした「自己実現ワーカホリック」という問題提起に対して、それは自己実現でできているのであるから問題ないし、むしろ当人にとって幸福ではないか、という反論も想定される。しかし、ことはそれほど簡単ではない。彼らは自発的に「自己実現」に邁進しているように見えて、じつはその方向を巧妙にいざなう仕組みが、働かせる側によって、仕事の中に組み込まれているのである。
 その意味で、「自己実現ワーカホリック」という言葉は、個人の動機を強調しているように見えるため、不適切な面があるかもしれない。働かせる側の要因の重要性を言いあらわすために、ただしくは「〈やりがい〉の搾取」と呼ぶべきであろう。
(本田由紀,軋む社会 教育・仕事・若者の現在,2015,河出文庫 ここ )