公用語が今世紀になって替わった国がある、
160年ほど前に幕末内乱があった県がある…
どちらもスポーツイベント関連で、私が知りえたことです。
こういうスポーツレガシーがあっても良いはずだ。
■オリンピックで知った民族紛争
2019年7月
東京2020オリンピック開催1年前を記念して、
イオンモール盛岡で開催された
「いわてスポーツフェスタ Go for 2020」の会場に
ルワンダ共和国のホストタウンとなっている
(参考:八幡平市ルワンダ共和国ホストタウンプロジェクト のfacebookページ)
知っている八幡平市の人がそこにいたので
しばらく話をしていると
ちょうど、
八幡平市で合宿していたルワンダの自転車の選手が3人やって来ました。
声をかけようと思いましたが
(まてよ、英語でいいのかな?)と、
知り合いに聞くと
「はい、公用語は英語。
でも、大虐殺までは、フランス語」
恥ずかしながら
私、その時まで
1994年の4月から7月に起きた「ルワンダ大虐殺」について、
まったく知らなかったのです。(参考記事)
そして、昨日が27回目の「想う日」だったのです。
facebookでルワンダオリンピック委員会の記事にコメントをつけてシェアしました。
■国体で知った天狗党と諸生党
ルワンダの内戦は、二つの民族間の紛争ということでしたので、
(日本では、あまり考えられないのかな)
と思っておりました。
7月にそれを知った年の
9月末から10月上旬に行われた国民体育大会は
茨城県が会場でした。
最近、私は、
関連した小説などを読みながら、出張することにしていて、
その時も
Google先生に教えてもらったものの中から
たまたま、Tsutayaの中古本で売っていた
読み始めると
水戸幕末争乱(天狗党の乱→ Link )がベースとなった物語で
考え方の異なる天狗党と諸生党の対立・弾圧を背景とした物語だったのです。
(ルワンダでおきたようなことは、
日本でも起こりうる、起きていたことなんだなあ)
国体期間中、市内を移動中に、
物語に出てくる堀や地名や、天狗納豆の天狗の看板を目にするたびに
(ああ)
と思っておりました。
■レガシーとはこういうものなのかもしれない
スポーツ大会のレガシーは、
スポーツをする人や見る人、そして関わる人が増えたりすることでなくても構わないのだと、私は、考えます。
スポーツ大会で何かを感じて、
スポーツでもスポーツでなくても良いから、何かを始めることが
レガシーだと考えるのです。
あ、
もしかすると、
何かをやめることも、あり…なのかも知れません。
さらに、
大会や行事が行われなくても、
準備や広報レベルのものを経験しただけでもレガシーは残るはずだと、考えます。
皆さん、
東京オリンピック・パラリンピックのレガシーは残せそうですか?
感じること、考えることを放棄してはつまらないですよ。