がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

唐招提寺長老のグリッド/わけるとつなぐ

14日の土曜日は、岩手県立美術館でした。 東日本大震災復興祈念 東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展 の開幕にあわせて行われた 西山明彦 氏(律宗管長、唐招提寺八十八世長老)による 開催記念講演会1「鑑真和上の教えと東山魁夷画伯」を 聞きに行ってきたのです。 おもしろいお話でした。 なかなかお聞きできない方のお話を盛岡で聞くことができる機会を作っていただいて、 ありがとうございました。 ■驚いたこと戒律とは何か」 というお話になった時、このようなスライドが投影されました。 あ、 私のメモを基に、私がつくったものですので、違いがあるかもしれません。 759年に鑑真大和上の私寺として始まったとされている唐招提寺の長老(トップ)である方が、 講演会で、あることがらを「グリッド」を用いて説明することに驚いたのです。 ■わけるとつなぐ ちょうど 深沢真太郎さんの 『わけるとつなぐ これ以上シンプルにできない「論理思考」の講義』 という本を読み終えたばっかりだったので (これ「わけるとつなぐ」じゃないか) と驚いたのです。 ものごとを考えるためには、 どんな立場の方でも、どんな分野でも 「分けること」と「つなぐこと」が行われているんだな…と感じ入りました。 ■本を読んでのメモ 女子高校のサッカー部を舞台にして本は書かれています。 ・何でできているのか  サッカーは何でできているのか…   を部員に考えさせています。   そして、   目標達成のために解決すべきことがらを見出し   解決の方法を導き出しています。  さて、   スポーツは何でできていて   いま、   何をどうしなければいけないのか…   いま、   何には手を付けるべきではないのか…  ということを、  私たちは、いつも考えているだろうか、  「耳当たりのよい言葉」を鵜呑みにして  考えることをやめてはいないだろうか…と  大きく反省したのです。 ・試合に監督がいないチーム こういう文がありました。
サンドロは、「ベンチに入ってほしい」と部員たちから求められたが丁重に断った。 ここはグラウンドであり、サッカーという競技の場。自分がいれば、選手たちは自分を監督のように頼ってしまうかもれない。 あくまで自分は脇役であり主役は選手。どんな状況になろうと、最後まで自分たちで戦って勝ってほしいと思ったからだ。
試合までの間、 自分たちが課題を見つけ、自分たちで何をどのように、さらに、誰の力を借りて、 解決してゆくかを考える方法を身につけさせてきた指導者だから、こういう姿勢がとれるのでしょう。 「監督を自分の中に持っている選手・チーム」を育てる…これこそが部活動の命であると、私は、最近、考えています。 今、 部活動は校外にという議論一辺唐フように感じていますが、 これからも学校に残る部活動もあるでしょうし、 現在、学校では部活動が行われているますから、 部活動のバージョンアップだってもちろん必要です。 忘れてはいけない、手を抜いてはいけない大切なことだと考えています。 ■リンク唐招提寺 LINK  ・わけるとつなぐ→ LINK