We must stop it even if it given effective results.
I finally understood.
これまでモヤモヤしていたのですが、
12月6日の内田良先生の講演を聞いてなるほどそのとおり!と腑におちたのです。
効果があってもやめましょう…という考え方です。
こういうスライドを見せながら
お話をなさったのですが、
次のネット記事のなかみに近いものですので、
こちらをお読みください。
暴力に効果はある。でもやめるべき***──次にスポーツと体罰について伺います。本書では、運動部所属の大学生の約半数が体罰肯定派というデータが示されています。
内田:そうなんです。しかも、そうしたデータを取る際に、「自分が体罰を経験したことがあるか」という項目も聞いているのですが、体罰を経験していないにもかかわらず、「スポーツには体罰が必要だ」という人も結構いる。これは問題だと感じます。
僕は体罰のことを「暴力」と言うようにしているのですが、そのうえで「暴力には効果がある」という立場を取っています。実際のアンケートでは「先生に叩かれて、私は立ち直った」と言う人は一定数いて、その事実を否定することはできないからです。
ただ、「暴力は効果があるけど、それでもやめよう」と言いたい。暴力で人を育てる時代ではなく、みんなで議論をしながら、人を育てていく時代にしなければならない。
暴力や体罰反対派の人は、「暴力は百害あって一利なし」とのスタンスを取りますが、暴力には一定の効果があること、だからこそ続いていることは直視すべきです。「暴力に意味はない」と全否定してしまうと、肯定派の人から「いや、意味があるんだ」と反論されて、議論が前に進みません。
(内田良、『教育という病』著者 内田良氏インタビュー(後編)過半数が体罰肯定派。スポーツと暴力の関係を考える、NEWS PICS、2015/11/7→[Link])
■「先生に叩かれて、私は立ち直った」と言う人は一定数いて、
その事実を否定することはできない
■この事実から「暴力には効果がある」という立場を取る
■しかし「暴力は効果があるけど、それでもやめよう」と言う
■なぜならば、
暴力で人を育てるのではなく、
みんなで議論をしながら、人を育てていく時代にすべきであるから。
実は私も、
暴力(体罰と呼ばれている)は百害あって一利なし…という言葉は腑におちていなかったのです。
(程度の問題だが
効果があったといっている人も、必要だといっている人もいるしな…。
自分でも、一利ぐらいはあるだろうとも感じているしな…)
でも、
効果があってもやめましょう…で腑におちたのです。
過去に効果があった、今でも効果があるということが
そのことを
このままずっと続けていってよいということの根拠にはならない
ということが理解できました。
今を疑う…大切なことですね。
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内田先生の講演記事�@
「限界への向き合い方/内田良先生の講演会から」→[Link]
画像中の図2-13のもとのデータ
「全国体育大学連合、運動部活動等における体罰・暴力に関する調査報告書」→[Link]
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◇そうでしょ、いつも言ってるでしょ!
◆えっ!?
◇最近、
あれはどこ行ったとか、
それはどこに置いたっけとか、
なにはどこにあるか知らないかとか
◆ああ、
最近、身の回りのものが良く無くなるのよ。
◇で、
あちこち探しまわっているでしょう?
◆うんうん。
それで?
◇やっと分かったんでんですね。
そんなに遠くには置いていないはずだって。
◆はぁ?
◇さっき、
居間を疑う…大切なことです、って。
◆(さ、さむい)