昨日は、国際交流報告会に出ていました。
そして、高校1年生に、大切なことを教えられました。
まず、
報告会の内容を、昨日のfacebook記事でご確認くださいませ。
***昨日のfacebook記事***
【不来方高校だより 国際交流報告会】
今日、1年生が全員集まって、国際交流の報告会がありました。
一人は、岩手県のグローバルネットワーク人材育成事業で、アメリカに行ってきた女子生徒。
■県のhp
http://www.pref.iwate.jp/kokusai/tabunka/029927.html
■facebookページ
https://www.facebook.com/globalIWATE
そして
三人は、矢巾町の派遣事業で、アメリカ・フリモント町に行ってきた、男子1名・女子2名の生徒。
■facebookページ
https://www.facebook.com/pages/Fremont-Yahaba-Friendship-City-Program/449002780009
全員、きちんと自分の意見や他生徒へのサゼッションを交えての、
堂々たる、素晴らしいプレゼンテーションをしてくださいました。
お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。
あ、
写真に写っているプリントは、
グローバルネットワーク人材育成事業でアメリカに行ってきた生徒がつくった発表資料です。
国際交流事業は、まさに、未来の岩手県への投資ですね!
***昨日のfacebook記事終わり***
報告会の中で、
一人の生徒が、こういう言葉を使ったのです。
『自分の立場の相対化』
相対主義とか絶対主義とか、とても難しくてよくわからない概念なのですが、
現在、京都産業大学の永田和宏先生が、京都新聞のコラムに、こういうことをお書きになっています。
前後を略して書き写します。
なんのために学問をするのかというと難しそうだし、なんのために勉強をするのかと問うとしんどそうである。もう少し端的に、なんのために本を読むのかと問うてみてもいい。わかりやすく説明していただきました。ひとつはっきりしているのは。自分を客観的に眺める、すなわち<自己>を相対化する視線を与えてくれるということだけは、どんな読書の場合にもあてはまることである。
こんなことを考えている人がいたのかと思う。こんなひたすらな愛があったのか、こんな辛い別れがあるのかと、小説に涙ぐむ。「読む」という行為の前には、知らなかった世界ばかりである。それを知るということは、すなわち「それを知らなかった自分」を知るということである。一冊の書物を読めば、その分、自分を見る新しい視線が自分のなかに生まれる。<自己>の相対化とはそういうことである。
勉強をするのは、そのためである。読書にしても、勉強にしても、それは知識を広げるということも確かにその通りだが、もっと大切なことは、自分を客観的に眺めるための、新しい場所を獲得するという意味のほうが大きい。小さな子が他者と出会って、自分に気づいたように、私たちは<自己>をいろいろな角度から見るための、複数の視線を得るために、勉強をし、読書をする。それを欠くと、ひとりよがりの自分を抜け出すことができない。<他者>との関係性を築くことができない。
(この下線部をクリックして、是非、全文をお読みください。)
相対化は自分の客観化から始まる…
相対化ができないと、
他の人との関係性を築くことができない「ひとりよがりの人」から抜け出すことができない。
そのとおりですね。
スポーツの世界は「ひとりよがり」になっていないだろうか…
と、
少し不安になりました。
高校1年生に、
とても大切なことを教えられました。
がんばらなくちゃ!
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そんな話を出発点にした研修会を
2月11日に北上市で、行います。
乞うご期待!
詳しくは、この下線部をクリック。