がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

塩が効かない!

「ドレッシングにするぅ、マヨネーズにするぅ、それとも、塩?」

朝食の一品に、レタスのサラダがあったのです。

このごろ、いろんな場面でへこんでいる私は、ここぞとばかりに、弱い者いじめをしようと思いました。

「塩!」

パパパパパッ!と塩を振りかけたのですが、レタスはびくともしません。

(ええぇ〜、青菜に塩…じゃあないのかよ!?)

道具まで使ったのに、レタスにも勝てない私です…。

ちなみに、

青菜は、ほうれん草、小松菜、水菜、チンゲン菜など「玉にならない」野菜のことようです。

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2月26日に岩手の地元紙「岩手日報」に興味深い記事が3つも載っていた…ということは、「産業経済界の考え」と題したこのブログの記事でご紹介しました。

その中の「スポーツツーリズム」に関する記事を、もう一度、引っ張り出してきます。

『スポーツには、地域に活気をもたらす力がある。スポーツツーリズムは復興を加速させる一助になるであろう。』

そのとおりです。

でも、これを読んで、気をつけなければいけないなぁ…と。

【橋口】

前回、我々の日常に「物語の獲得」を見出してゆくと、個々の物語から広がっていって、街単位での物語の獲得にたどりつきましたよね。街単位の物語というところでふと思ったんですけど、映画で街のシーンがあったりすると、日本の映画だとで、私、どうしても後ろのエキストラの人たちの動きが目につくというか、気になって見ちゃうんですよね。出番まですごく待ったんだろうなーとか余計なこと考えたり。

【名越】

はいはい。

【樋口】

でも、ハリウッド映画とかだと、なぜかそれがない。普通に街や景色として見ている自分がいるんです。

【名越】

わかるなあ。それはね、エキストラ自体が持つ普段の生活の中でのもともとの感覚の違いだと思うんですよ。アメリカとかヨーロッパとかでは家やマンションを買う時、その家が建つ街や通りまでをも買うというような感覚なんですね。つまり、その居住区全体に住む権利を得るという意味で家を買うから、場所によっては、家の値段が帰って後に上がったり、あるいはちゃんと中をコーディネートしたら、次に売るときに全然値崩れしなかったりするんです。ところが日本は、その敷地や部屋を買うという感覚だけだから、新築から次第に古くなってゆくという理由で、買った瞬間から価値が下がり始める。それをやっているうちは、だめじゃないかなあっていう感じがするんですよね。だから、橋口の言うハリウッド映画の中のエキストラと、日本映画のエキストラとでは、演じる前のもともとの「その街に住みたい」っていう意識そのものが違うんじゃないかなと思うんです。それがスクリーンに現れてしまうんじゃないかな。

「本当の大人の作法 価値観再生道場」 (ダ・ヴィンチブックス)内田樹×名越康文×橋口いくよ

(第2章「街と物語」29ページ)

アメリカとかヨーロッパとかでは家やマンションを買う時、その家が建つ街や通りまでをも買うというような感覚なんですね。つまり、その居住区全体に住む権利を得るという意味で家を買う』

『ところが日本は、その敷地や部屋を買うという感覚だけだから、新築から次第に古くなってゆくという理由で、買った瞬間から価値が下がり始める』

交流人口を増やして…が本当の目的なんだろうか、それとも、街の魅力が交流人口を増やすのだろうか。