がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

1970年の記憶

2月11日に開催された

総合型地域スポーツクラブ「NPO法人まつぞのスポーツクラブ」の創立10周年記念式典・祝賀会の集合写真をいただきました。

すごいところに座っていますよね!

気がついたのですが、ここ何十年も、アルバムに写真を貼った覚えがありません。

もしかすると、私のアルバムは、どこを探してもないかもしれません。

(お葬式の時は、どうするんだろう)

お葬式には遺影がつきもの…なんですが、よく考えると、必須アイテムではないはずです。

だって、

写真のないころから、お葬式は行われているはずですから。

(きっと、何とかなるだろう…。)

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2月17日に「気づいていないこと」という題名でアップしたブログ記事の中で、岩手県ボート協会50周年記念式典に出席したことを皆さんにお知らせし、こういうことを書きました。

記念式典では、日本ボート協会理事長の木村新さんからの祝辞がありました。

日本協会を代表するきちんとした素晴らしいご祝辞の後に「個人的なことになりますが」と前置きなさって、こういうエピソードをお話なさいました。

 ■高校2年の時に初めて出場した国体が1970年の岩手国体だった

 ■会場は錦秋湖

 ■なんという駅で降りたかは忘れたが、

  駅前で地元の方々から、それはそれは熱烈な歓迎を受けたことを、

  今でも、鮮明に覚えている

 □さらに、理事長に就任したのが2年前

 □就任して初めてのインターハイが岩手で予定されていた

 □そこに、東日本大震災津波である。岩手ではできないと思った

 □でも、地元が開催を決断してくれて、素晴らしい大会運営してくれた。

  心から感謝している

自分たちでは気がついていないことが、岩手にはたくさんあるようです。

昨夜、遅く、その記事に「平家の落人」さんから、コメントが入りました。そのまま写します。
平家の落人2013/2/20 23:07

昭和45年、国体ボート競技に参加する高校生の木村選手が降りた駅は北上線の陸中川尻駅(現ほっとゆだ駅)でした。

その時、社会人1年生の自分が漕艇競技の国体事務局職員としてお迎えしていたと思います。

なぜか「誠実・明朗・躍進」の言葉がよみがえりました。43年の歳月は「漕艇」を「ボート」に替えていたんですねぇ。

神奈川から来た人も、地元で迎えた人も、素敵な思い出として国民体育大会の開催を覚えていてくださっているんです。

新しい岩手型…がんばらないわけには行きませんね。

でも、くれぐれも勘違いしないでくださいね。

お葬式には遺影がつきものか…ということを、時々、しっかり考えながら準備を進めるべきなんですよ。