がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

岩手日報の論説

 今日は岩手県立美術館に行ってきました。  企画展は「アンソール」。  常設展では  「萬鉄五郎」のボランティア作品解説もしていただいて、大もうけの気分。  アンソールは来週14日まで。足をお運びください。  あ、常設展は古関六平の漆撃熨f晴らしいですよ。これは27日まで。  けっこう遊んだ「松の内」もおしまいです。 ********** 今朝の岩手日報の「論説」をご覧になりましたでしょうか。 年が明けてから「確かな一歩」というシリーズが始まっていて、今日は「スポーツ」。 題は『「新生岩手」の一翼期待』です。 しばらく署名なしの論説だったのですが、年が明けてから、論説に署名がつくようになりました。 小田島康隆さんがお書きになったものでした。 小田島さんは、過去に岩手日報の運動部長をなさった方で、論説委員になってからは、何回もスポーツを応援する論説やコラムを書いてくださっています。 ありがたいことです。 さて、 今日の論説の全文は、この下線部をクリックして、岩手日報社のサイトでお読みいただきたいのですが、結びはこうです。 『新たな岩手の創造=Bスポーツがその一翼を担うことを願う。』 スポーツが岩手創造のツールとなる…新年早々、身の引き締まる思いです。しっかり、頑張ることを誓います。 ***** ところで、冒頭にはこうあります。
「総合開会式が始まった。陸上競技場のトラックを幼稚園児とお母さんたちが、炬火(きょか)をリレーする。2011年3月11日に生まれた子どもたちが、お母さんと左手をつないでいる。右手には『鎮魂・復興・不滅の灯』のトーチ。煙をたなびかせてニコニコしながら歩いて運び、炬火台に点火します」  東日本大震災から約1カ月後にブログに掲載された本県スポーツ関係者の一文だ。当時、被災者は体育館などに避難。余震も相次ぎ、国体をうんぬんする状況になかった。あくまで「夢の開会式」のワンシーンだった。
東日本大震災から約1カ月後にブログに掲載された本県スポーツ関係者の一文…このブログのことです。 2011年4月2日に書いていた「5年後に見たいもの」です。(この下線部をクリックすると全文が読めます。) 私の文章を書きだしに使っていただいて、光栄に感じますし、とても嬉しいのですが、それよりなにより 「恥ずかしい」のです。 まだ、 考えが一切まとまっていない時期で、勢いに任せて、つまり、感情的に書いたような記憶があります。 (やらせてくれ)の一点張り。 では、 震災津波からの復旧・復興が最優先の時に、どうやって国民体育大会の準備を行い、どうやって開催するのか…と問われれば、答えが出せない状態でした。 (とにかく、やらせてくれ)だったのです。 ***** その後、考えました。 その経過は、ブログ記事にして、 「国体震災矛盾整理」というカテゴリーを作り、2011年5月2日から6月8日までの8回(後で1回追加していますが)で、「整理�G私の結論」までたどり着きました。 さらに、 「新しい岩手型国体」というカテゴリーに、予定どおりの2016年に開催するためにしなければならないことをまとめています。2012年1月2日から4月27日までの4回です。 ただ単に、「やりたい」レベルの2011年4月の文章を読むと、 どのようにして開催すればいいのか、どのようなシステムを残せばいいのか…を考えている今の自分との差に愕然とします。 新年早々、良い機会を与えていただきました。 でも、 何も具体的なことを動かせていない自分にも気がつくわけで、きつい、新年だなぁ…とも思っています。 いずれにせよ、引用していただいて、本当にありがとうございました。 ********** 昨日、スキー場でほめられました。 滑り終わって駐車場でスキーを車に入れようとしていると、お会いした覚えのない方に声をかけられました。 「あ、hirafuji課長、スキーですか! さすがですね。」…私の職名まで知っている。。。 ほめられてうれしいのですが、いろんな人が私のことを知っているらしい…ということもわかり、 きちんとした生活を心がけなければいけないな、と。