がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

弘前で知る岩手情報

私のお盆休みも最終日です。

今日は弘前のお墓詣りでした。

暦どおりに働いておられる方々、それどころではなく働いている方々、申し訳ございません。

明日から、バリバリ働きますので、お許しください。

この休みを利用して、

22字42行5枚の原稿が、一気に出来がっているはずでした。成果は、18行。

さらに、

来週の火曜日に開かれる会議の資料・A4版87ページは、目を通して課題が抜き出されているはずでしたが、資料は開かれてもいません。

私が悪いのですが、

原稿を書かなかったり資料を読まなかったりした「私の行動」が悪かったのではなく、

原稿や委員を引き受けた私、そして、お盆休みに仕事をしようという計画を持った「私の目論見」が悪いことにしました。

正解だと思います(笑)。

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年に何度も行かない弘前ですが、

バナナ菓子の「いなみや」 → お寺 → お昼ごはん → スーパー「虹のマート」(詳しくは「青い空・青い海・青い森の国から」というブログで見てください)のコースは決まっています。

今日も、虹のマートに行きました。たくさんのお店の中に「金物屋さん」があります。

どうでしょう、この「ひまごの手」についた『ちょすな』の注意書き。

私、数ある方言のうち、「ちょす」があらわすニュアンスが大好です。

【私の解釈】

 ▼ちょす:用もないのに興味本位で対象物をいじり回すこと。物だけではなくて人にも使われる。

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年に何度も行かない弘前ですが、今日は、たまたま和尚さんがおられました。

お経をあげてくださる時間もあるとのことです。

義母は、そういうチャンスを逃しません。お願いするわけです。

本当にしばらくぶりです。

結構、長い間座っていなければいけないので、子どもたちが小さいころは、弘前に行くと聞くと(和尚さんいるの?)が定番の質問でしたが、今日は、私たち夫婦と義母の3人だけ。

そのころを思い出しながら、おつとめをしていただいておりました。

子どもたちがいたころは、お経が終わるとスッとお帰りになったのですが、「平均年齢65歳の三人」だけとなると、こちらをむいて座りなおして世間話をはじめます。

盛岡の話、ラーメンの話、冷麺の話…結構、楽しいお話をなさいます。

急に「平泉・中尊寺」の話になりました。

一字金輪佛頂尊という秘佛を御開帳しているのはご存じか…ということです。

岩手県の盛岡から行った私たちに、秘仏の特徴、開帳している場所などを詳しく説明してくださり、

(生きているうちには、もう、ご開帳はないでしょうから、ぜひ拝みにゆくべきです)

という言葉を添えてくださいました。

このお寺、天台宗のお寺でありますので、中尊寺とは深いつながりがあるのですが、こういう「伝え方」もあるんだな…と感心しました。

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◇こういうって、どういう伝え方ですか?私にはさっぱり伝わらないんですが…。

◆県外の人に岩手県の情報を発信していただく…と言うこと。

◇ああ、そういうことですか。

 弘前のお坊さんが、岩手の中尊寺秘仏の情報をお持ちで、

 その価値は日本レベル、いや、世界レベルにあるという評価を添えて、多くの人に発信する…

 という「伝え方」ですね。

◆そう。

 これ、オリンピックや国民体育大会の機運醸成でも大切な事なんじゃないのだろうか…と考えたのさ。

◇なるほど。

 どうしても私たちは

 県内の人が県内のことを県外の人に伝える、日本の人が日本のことを外国の人に伝える…

 という一方向の考えで動いてしまいますね、そういわれれば。

◆ではなくて、

 外の人がさらに外の人に、

 そして、

 内側にいても知らない・考えたこともない人にも伝えてゆくことが必要というほどのことだろうね。

◇たまには、いいことを言いますね。

 どうしたんですか、お経を聞いて何かを悟ったんですか?

◆いや、プレジデントオンライン載っていた、茂木健一郎さんのこの記事を読んだ。

◇あらやだ『オリンピック招致で観光立国の扉を開けよう』という記事じゃありませんか。全然違う話じゃありません!?

◆外の人たちがさらに外の人たちに伝えるためには「伝えたくなるような話」を提供しなければならない。

 当たり前のことは、どなたも広めてくれない。

 とにかく、私たちがしようとしていることの価値を高める必要があるということだよね。

◇あ、この部分ですね。茂木さんの。

オリンピック開催には、苦労や批判がつきものである。今回のロンドン・オリンピックの運営に当たっても、さまざまな摩擦、不祥事があったことが伝えられている。しかし、日本人選手の活躍に熱狂する私たちがよく知っているように、オリンピックの価値は、そのような負の要因を補って余りあるものがある。