がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

ばかものキマイラ

感心しました。

今朝のドコモショップ盛岡大通り店の、店舗移転と開店セールを知らせるチラシです。下のほうにこんな囲みがありました。

『駐車場ど、ど〜んと!約 2,000台』とあります。

よく見れば、盛岡大通商店街指定駐車場を使えば駐車場料金は無料ということです。

イオンモール盛岡は、無料駐車場が2,800台、イオンモール盛岡南は2,400台とありますから、そうそう、ひけを取ってはいません。

中心商店街が負けている理由は、

手垢のついた、つまり、考えることを省略してしまって、みんなが言っていることを鵜呑みにしている理由、

「郊外大型店に比較して、十分な駐車場を持たず、商品の目新しさや価格競争力に劣っていた既存の商店街から客が流出し、一気に衰退」

だとばっかり思っていました。

しかし、

無料駐車場 2,000台の表示を見て、

お店に駐車場がなくても、商店街として準備していれば良い、

そして、それぞれの店舗が努力すれば、商店街として大きなショッピングモールが形成される…

ということを、すっかり忘れていた自分に気がつくのでありました。

協働を基本とする新しい岩手型…この視点なのかもしれません。

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一昨日は、いわて沼宮内駅のホールで、ロンドンオリンピック女子ホッケー日本代表・田中泉樹さんの祝賀会、

昨日は、私にとってメンター的な存在の方に、ごはんを食べながらお話を聞いてもらっていました。

週明け2連続外食…。

でも元気が出ました。ありがとうございました。

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講演であれ何であれ、「生」でお話をお聞きしたい人をお持ちですか?

昨日は、私の「お聞きしたい人リスト」に載っている沢山の人のうちのお一人の方が、駅前のホテルでご講演なさいました。

職場の皆さんには本当に申し訳なかったのですが、3時間のお休みをいただいて、聞きに行ったわけです。

岩手経済同友会第3回公開講演会という催しで

演題は、『経営者の志と地域の活性化』

講師は、新潟総合学園総長・アルビレックス新潟会長/新潟経済同友会代表幹事の池田弘さん。

このブログでも、池田さんのお考えを、3回ほど記事にさせていただいており、なんとしても、直接お話を伺いたかった方です。

やっぱり、すばらしいのです。

テーマは

『地域のビジネスが「経済的に自転する」ための経営者(同友会)の地域への関わり』

だったと、私は理解しました。

「聞いた人だけが得をする原理主義者」の私は、それ以上は教えません。

それにしても、

新潟に文化をつくろう、一緒にがんばろう、という、ぶれない「理念」をもち続けている人は、すごいものです。

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もう一つ、理由があります。

経済同友会、つまり、岩手の名だたる経営者の方々は、どんな問題意識を持っておられて、そのためにどんな研修会をなさっているのか…ということを知りたかったのです。

「県民、企業、団体等との協働」による「新しい岩手型国体」と、そのための「新しい岩手型選手強化」、その後につながってゆくはずの「新しい岩手型スポーツ振興体制」…を、考えていると標榜している私たちが、企業の経営者の方々の考え方を知らないことに、私は、気がついているのです。

行ってみて、世界が違うことに気がつきました。

本当に勉強になりました。ありがとうございました。しかも、無料。

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お話を聞きながら、

天下無敵…ってこういうことなんだろうな、きっと、と、このあいだ読んだ本の一部を思い出していました。

<略>「敵をつくらない」とはこのことである。

自分の眼前に立つ相手を敵としてではなく、複素的身体を共に構成する「パートナー」として迎え入れるマインドセットへ切り替えることである。

「本来の私」のままであり続けたいと願う人間にとって、敵という制約条件が存在する限り、私の身体能力は常に標準以下にとどまる。論理的に言えばそういうことになる。敵が私の可動域を制約し、私の選択肢を狭めるものとして観念されている限り、つまり、「主体%G」スキームに立つ限り、最終的には 単独であることこそが身体運用の理想 だということになる。私以外の誰も存在しない世界こそが自由の極限的なかたちだということになる。

論理の経済は私たちにそう結論することを要請する。「主体%G」の二元論スキームを突き詰めてゆくと、私たちは「天下無敵」どころか「天下あまねく敵」という生存戦略上最も不利な事況へと導かれるのである。

「敵」の出現を「主体の可動性が制限された状態」とみなすところから始めたのが最初の「ボタンの鰍ッ違え」だったのである。解釈を逆転させなければならない。私の手首を握ってきた敵の手は、その「手の内の締め」によって私の腕の回旋運動にエネルギーを補給するものとして、いわば「贈り物」として与えられたと考えるべきなのだ。それはたしかに私の運動性能と可動域を制限する。けれども、もしここに私の手首を「結節点」とするところの複素的身体が形成されたとしたら、そういう言い方はもう無効になる。そこに出現するのは、私と敵が出会った瞬間に生成した「頭が二つ、体幹が二つ、手が四本、足が四本」の「キマイラ」である。〈略〉

(内田 樹、私の身体は頭がいい、文春文庫、p.282〜284)

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◆なるほどねぇ〜

◇なに、ノートを見ながら唸ってるんですか?

池田弘さんが、

 たぶん、三重県百五銀行の川喜田貞久さんの言葉を引いたんだ。

 地域づくりに必要なものは

 「よそもの」「わかもの」「ばかもの」の三つの「者」だ…ってね。

◇なるほど、そのとおりのような気がします。

 でも、地域づくりだけではないですよね、その三者。何かを打破するためには共通して求められるような…

◆だよね。

◇だから、hirafujiさん、「ばかもの」で居続けるしかないんですね。

◆な、な、なんで?

◇地元生まれだし、若くもない…これは、挽回できませんよね(笑)

◆ぎゃふん。