今日は、地球の裏側まで突き抜けるかと思うほど、へこんでしまいした。
私がパートナーだと思っていた方々が、
「やらされ感」「したうけ感」を持って仕事をしている…と言っている、
という話を、第三者から言われたのです。
全身の力が抜けるような気がしましたし、摘ってしまってすでに無い、胆嚢のあたりに痛みが来ます。
結局は、
私の説明が悪いのでしょう…それがすべてだと考えています。
こんな歌が思い出されます。
♪友を選ばば 書を読みて 六部の侠気 四部の熱♪
**********
今日は桜桃忌。
こんな気分だからでしょうか、「咲クヨウニ。咲クヨウニ」が頭に浮かんできます。
女の子の日本橋でのあきないは非常に少なかった。第一日目には、赤い花が一本売れた。お客は踊子である。踊子は、ゆるく開きかけている赤い蕾を選んだ。私は「咲くだろうね」
と、乱暴な聞きかたをした。
女の子は、はっきり答えた。
「咲キマス」
二日目には、酔いどれの若い紳士が、一本買った。このお客は酔っていながら、うれい顔をしていた。
「どれでもいい」
女の子は、きのうの売れのこりのその花束から、白い蕾をえらんでやったのである。紳士は盗むように、こっそり受け取った。
あきないはそれだけであった。三日目は、即ちきょうである。つめたい霧のなかに永いこと立ちつづけていたが、誰もふりむいて呉れなかった。
橋のむこう側にいる男の乞食が、松葉杖つきながら、電車みちをこえてこっちへ来た。女の子に縄張りのことで言いがかりをつけたのだった。女の子は三度もお辞儀をした。松葉杖の乞食は、まっくろい口鬚を噛みしめながら思案したのである。
「きょう切りだぞ」
とひくく言って、また霧のなかへ吸いこまれていった。 女の子は、間もなく帰り仕度をはじめた。花束をゆすぶって見た。花屋から屑花を払いさげてもらって、こうして売りに出てから、もう三日も経っているのであるから花はいい加減にしおれていた。重そうにうなだれた花が、ゆすぶられる度毎に、みんなあたまを顫わせた。
それをそっと小わきにかかえ、ちかくの支那蕎麦の屋台へ、寒そうに肩をすぼめながらはいって行った。
三晩つづけてここで雲呑を食べるのである。そこのあるじは、支那のひとであって、女の子を一人並の客として取扱った。彼女にはそれが嬉しかったのである。
あるじは、雲呑の皮を巻きながら尋ねた。
「売レマシタカ」
眼をまるくして答えた。
「イイエ。……カエリマス」
この言葉が、あるじの胸を打った。帰国するのだ。きっとそうだ、と美しく禿た頭を二三度かるく振った。自分のふるさとを思いつつ釜から雲呑の実を掬っていた。
「コレ、チガイマス」
あるじから受け取った雲呑の黄色い鉢を覗いて、女の子が当惑そうに呟いた。
「カマイマセン。チャシュウワンタン。ワタシノゴチソウデス」
あるじは固くなって言った。
雲呑は十銭であるが、叉焼雲呑は二十銭なのである。
女の子は暫くもじもじしていたが、やがて、雲呑の小鉢を下へ置き、肘のなかの花束からおおきい蕾のついた草花を一本引き抜いて、差しだした。くれてやるというのである。
彼女がその屋台を出て、電車の停留場へ行く途中、しなびかかった悪い花を三人のひとに手渡したことをちくちく後悔しだした。突然、道ばたにしゃがみ込んだ。胸に十字を切って、わけの判らぬ言葉でもって
烈しいお祈りをはじめたのである。
おしまいに日本語を二言囁いた。
「咲クヨウニ。咲クヨウニ」
「女の子」でもあり、「踊子」でもあり、「酔いどれの若い紳士」でもあり、「松葉杖の乞食」でもあり、「支那蕎麦屋の禿げ頭」でもある…ような不思議な気がします。
さて、
何があっても「咲クヨウニ。咲クヨウニ」と、がんばるよ、私は。
**********
こんなお手紙をいただきました。
私ごときに、こんなお手紙を…。
素晴らしい方です。
こういう行いが「ウィーク・タイズ」を広げてゆくんですよね。
見習わなくちゃ。