がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

思考の留守

3月になりました。

 わが家の「今年のおひな様」も飾られています。

 大迫に行ったついでに、「森のくに」で買ってきた、

 小さいガラス細工のものです。

 どうです、素敵でしょう。

 今年も残すところ、305日。しっかり頑張りましょうね。

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さて、

今日の岩手日報です。

開会中の岩手県議会のことが記事になっています。

ラグビーワールドカップ」と「国民体育大会」の

スポーツに関する見出しが景気よく躍っています。

今朝、さっそく、

被災地にお住まいの方から、わが課にお電話が入りました。

応対した職員から話を聞くと

(それどころではない。『盛岡の論理』で物事を進めては困る。)

という趣獅セったそうです。

サイレント・マジョリティ…という言葉が頭に浮かびます。

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前にも書いたように、今回の国体開催は、誰が見ても『スポーツ関係者が望んだ開催形態』なのです。

ですから、

私たちスポーツ関係者は、これまで以上に、いや、「比較的」ではなく「絶対的」に、しっかりしなければなりません。

絶対的に…とはどういうことか。

「前に比べてよくなった」ではなく、「このレベルは譲れない」ということだと考えます。

ものごとを考える回数が、去年は1回、今年は2回だから比較的に向上…めでたい、めでたい、ではなく

一週間に一回ものごとを考えるべきとして、年間52回が最低レベル…のような絶対的な「しっかり」さが求められます。

雑誌『プレジデント』最新号の編集後記にこういう文がありました。

その人は険しい顔つきで「皆さん、年金は払い損ですよ」と不安をあおったかと思えば、今度は乾いた声で「世代間でもらえる額にこんなに差があるんですよ」と一刀両断…。朝のワイドショーの一コマですが。「本当のようなウソ」で視聴者の思考の留守を襲う手口はとてもフェアとは言えません。
(思考の留守…かぁ)

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私たち、スポーツ関係者は、たくさんの「思考の留守」を持っているような気がします。

もの言わぬ多くの人たちのことを考えたことがあるのか、

国民体育大会の開催と岩手県の復興について、本当に考えたことがあるのか、

新しい岩手型国体とは何者であるのか、そして、どのように進めなければならないのか、

そもそも、スポーツは、なんの役に立つものなのか…。

「もの言わぬ多くの人」のお一人が、意を決して、あなたに何か聞いてきたときに、自分の考えをきちんとお話しできますか?

そして、理解してもらえる自信はありますか?

(私は、思考の留守だらけ…かもしれない)と思った、今朝の電話です。

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◇だからぁ!

◆な、なに怒っているの!?

◇思考の留守だらけと「思った」ですとぅ!

 思っただけでは「思考」の前半分。「考えて」初めて思考になります。

 

 ちゃんと考えてくださいね。考えて。

◆ぎゃふん。