気がつけば、午後3時でした。ふぅ。月曜日にしてはハードすぎるなあ…と思います。
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先週の金曜日、コメントをいただいていました。
2008年11月の私の記事に紐付くものです。
そのブログ記事は、
▼
岩手県内のテレビ・新聞には、昨日、
洋野町の大野第一中学校に
▼
北京オリンピックの男子マ
ラソン金メダリスト、
ケニアの
サムエル・ワンジル選手が訪れ、
▼特設駅伝部を指導したというニュースに驚いた私が調べてみると
▼ヤフー、
ベースボール・マガジン社共催の『スポーツ応援プロジェクト2008』の事業であった
というものであり、
そのプロジェクトのページを見ると(もうページはありませんでしたが、
ここにpdfがあります)
▽大野第一中学校、
▽地方の小さな学校で「駅伝に出たい」と生徒二人が昨年秋から毎朝走りはじめた
▽三日坊主かと見ていた先生達は出勤途中に雨の日も雪の日も走り続ける二人の姿を見る
▽無言のアピールが学校を動かし、共に走りたいと仲間も動かし、
▽4月盛岡一周継走出場が決まる
というチーム紹介があり、
そして、応募した方の文章が載っています。ゴソッと抜きます。
駅伝チームは大会後解散、しかしメンバーは自ら一人また一人と走り続けています。全中駅伝予選が待っているのです。夢は続いています。二人で思い描いていた夢がいつしか仲間、先生、学校、地域の夢となっています。もう二人だけの夢ではない。山の中の小さな学校でも夢を持ち叶えようと努力したことで周りの人の気持ちも動かしていった、そんな彼らにたった一度でもいいのでプロの指導者の練習を受けさせてみたい、学校名のついたお揃いのジャージ、「獅子奮迅」とついたハチマキ、それらをプレゼントしたいです。
盛岡一周継走で最終区ランナーが言った言葉が感動でした。「残り1キロやっぱり調子が今一つでもうダメだと思ったんだ、一瞬目を閉じた時、新幹線を降りる時、みんながハイタッチしてくれて頑張れと言ってくれた光景が頭の中に出てきたんだ、そしてラストスパートで力を出しきった」と彼は言っていました。(注:大会は修学旅行の次の日で、選手は盛岡駅で途中下車して家に帰らずに大会に出場したのだそうです)みんなの応援が力になると実感したのだと思います。まさにみんなで走ったのです。彼は十人抜き区間賞でゴールしました。ほぼ全員が個人上位記録に名前があり全中駅伝予選が楽しみです。
先生達もまたコツコツと練習し地道に努力を積み重ねてどんどんタイムを短縮していった生徒達に学ばせてもらい一緒に夢を見させてもらっています。と言いました。専門の先生がいるわけでもなく練習場所は山道です。道は険しい、でも彼らの夢へのチャレンジを、夢を掴む瞬間を一緒に見たいのです。
ブログの記事で私はこう結びました。
本当に、すばらしいことだと思います。
どなたが応募したかについては、どこを調べても分かりませんでしたが、読売新聞には「部員の母親が応募」とありましたから、私はそう信じることにしました。
頑張っている子どもたちがいて、そのことを伝えよう、評価していただこうとするお母さんがいる…
そして、
その評価に基づいて、部員全員のために指導に来て欲しいと訴え、そろいのユニフォームで走らせたいと訴える…
もしかすると、学校のため、地域のために「駅伝部」を支えて欲しいと考えたのかもしれません。
なんの「つて」がなくても、
外国人のオリンピック金メダリストを町の中学校に呼んでくるほどの「情報発信力」を持っている人がいる。
おそるべし★大野の発信するお母さん!
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恥ずかしながら、それ以来、大野一中の駅伝チームのことをすっかり忘れていました。
そこに、このコメントです。
お久しぶりです。
息子の駆け抜けた夢から3年過ぎ、とうとう全国の切符を後輩たちが手にしました。大野第一中と大野第二中が春に統合し大野中となりました。そして夢の優勝、全国への切符を手にしました。二人が走りはじめてから後輩たちや先生方がその夢の続きを追い毎朝の練習は続いていたようです。
今年は震災により山田中学は練習が思うようにできなかったと新聞記事でしりました。(リンク切れ用心pdf)まさに息子たちのときも地震があり練習できない日があったことを思い出しました。それでも東北大会出場を決める山田中の底力を感じました。同じ町内の種市中も上位でした。それぞれの関わる方々の声援を力にしてどの競技でも岩手の底力を見せてほしいと願っています。
3年前に、子どもたちの夢をかなえるきっかけをお作りになって以来、子どもさんが卒業した後も、こんな気持ちで、ずっとチームを応援しながら見守っていらっしゃった方がいたわけです。
『それぞれの関わる方々の声援を力にしてどの競技でも岩手の底力を見せてほしいと願っています』
穴があったら入りたい気持ちになりました。
正直に言いましょう。実は、私は、記事を書いただけで全く応援していなかったのです。
本当に、ごめんなさい。
夢はこうやって叶えるんだなあ…としみじみと感じさせていただきました。
ありがとうございます。
ふと、この前読んだ本の内容を思い出しました。
『
ソニーの「
ウォークマン」を見て私は、すごいと思います。
ウォークマンというのは、
ソニーの技術力でしかできないものだったか。決してそうではない。他の会社だって、
ウォークマンを見さえすれば簡単に作ることが出来たはずです。ところが
ウォークマンというア
イデアは
ソニーしか出せなかった。』
(
横井軍平ゲーム館 RETURNS,フィルムアート社,p202)
大野のお母さんに、脱帽です。