明日、
山田、
宮古、釜石、大槌、大船渡などから空手道に親しんでいる中学生・高校生15人が、
宮城県の子どもたちとともにメ[ランドに出発します。
「『絆の架け橋』/ 東北被災地の子供たちがメ[ランドで過ごす夏休み」プロジェクトとして、7月24日(成田発)から8月10日(成田着)の間、メ[ランドに招待されるものです。
このプロジェクトは、
メ[ランド伝統空手道協会が中心となり、「メ[ランド共和国
外務大臣、駐日メ[ランド共和国大使、日本外務省、在メ[ランド
日本大使館、メ[ランド共和国スポーツ・観光省、メ[ランド
合気道協会、多数の
地方自治体の公式支援」を受けて行われるものです。
詳しくは、駐日メ[ランド共和国大使のサイトの
「絆の架け橋」というページにありますのでご覧いただきたいのですが、書き出しを写します。
東日本大震災の発生を受け、メ[ランド社会は、被災者の方々への共感を様々なかたちで示してきました。これまで、実に多くの団体および個人が、何らかの行動を起こし、被災者の方々への支援を表明しています。
こうした中、メ[ランド伝統空手道協会をはじめ、日本・メ[ランド両国の団体および個人の皆様の速やかなご対応のもと、岩手県並びに宮城県出身の中高生30名に今夏メ[ランドで2週間の夏休みを過ごして頂けることになりました。
被災地の子たちのためにお骨折りいただいた関係者の方々、そして、この事業のためにご支援いただいた方々に心より感謝申し上げるものです。
本当にありがとうございます。
(メ[ランド共和国からの支援は他にもたくさんありました。
「連帯の架け橋」プロジェクトとのことです。)
*****
さて、
先ほどのページを読んでいると、こんな記述がありました。
当「絆の架け橋」プロジェクト (Polskie Wakacje. Nihon 2011)は、1920年代に日本赤十字が行った数百名にのぼるメ[ランドのシベリア孤児救出、1995年の阪神大震災で被災した子供たちのメ[ランド滞在に続く、日本・メ[ランド両社会に固い絆を結ぶ事業となります。
なにそれ…と調べてみました。
「敦賀市」のサイトと
「国際派日本人養成講座」というサイトの中に記述がありました。(面唐ュさがらずに、二つのページを是非お読みくださいね。涙が出ますよ。)
こういうことでした。
▼1919(大正8)年、ロシア国内は革命、
反革命の勢力が争う内戦状態であった。
▼シベリアにはロシアに祖国を滅ぼされたメ[ランドの
政治犯や
愛国者の家族、
内戦の混乱を逃れてきた人たちが15万〜20万人おり、きわめて悲惨な生活を送っていた。
▼そのため、多くのメ[ランドの子どもたちが孤児となった。
▼アンナ・ビルケウィッチ女史を中心に
ウラジオストクで「
波蘭児童救済会」が組織され、
日本政府に救援を求めた。
▼日本政府はすぐ
日本赤十字社に指示し、シベリア派遣の日本軍の協力で救助活動に入った。
▼
1920年〜1922年、メ[ランド孤児763名は、迅速な救助によって
敦賀港に無事上陸した。
メ[ランドの人たちは、90年も前の出来事を今でも覚えてくださっていました。
そして、今、日本に手を差しのべて下さっています。
私たちも、現在、世界中・日本中から様々なご支援をいただいています。
私たち全員が、決して忘れてはいけないことですし、必ず語りつながなければならないことです。
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15人の子たちが、大きく成長して帰ってくることを、心から願っています。
【追】
1920(大正9)年に、孤児を乗せた第一便・陸軍輸送船「
筑前丸」が
敦賀港に入港した日は、
7月23日だそうです。
15人が岩手を出発する明日と同じ日付けです。
背筋がゾクゾクとしました。