がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

頼む時だけ

19日に東京のヒデオさんからメールをいただいてから、気になって気になって仕方のなかった

週刊朝日 2009年10月30日号」をやっと手に入れました。

内館牧子さんが書いた「暖簾にひじ鉄」という連載ものの「408 頼む時だけ」という、見開き2ページのエッセイを読まねばならないと思ったからです。

メールには

 ▼9月12日付岩手日報の記事が冒頭で扱われている

 ▼私も気をつけなければと赤面して読みました

という趣獅フことが書いてあります。

9月12日の岩手日報記事は私も気になりました。

新聞記事の見出しは「だから盛岡は嫌われる」だったと、内館さんは書いていますが、私にはその記憶はありません。

ただし、内容については次のとおりだったと、鮮明に覚えています。

 ▼2016年の岩手国体の開会式場を盛岡に誘致するために、

  広域圏の市町村に協力をお願いして歩いたが、

 ▼開会式場が北上に決まった後には、協力のお礼を文書1枚郵送しただけであった

 ▼それでいいのか

内館さんは、この話に関連して、

なにか頼みごとをしたりされたりした時の「御礼」や「報告」がおろそかになってはいないか…という話をお書きになっています。

自分にも思い当たることがあり、ヒデオさん同様に赤面するわけですが、

全国に広く今回の「無礼」を知らされてしまった「盛岡市」も赤面していると思います。

内館さんは、決して東北や盛岡が嫌いなのではないことは、JR東日本の社内誌に「みちのくプロレス」に関するエッセイを読めば分かります。内容は次のとおりでした。

  ・93年にみちのくプロレスが盛岡で旗揚げされた時には、驚きを通り越してあっけにとられた

  ・長くはもつまい。誰もがそう思っただろう

  ・なのに、今年で14年がたつ

  ・東京のメジャー団体とは一線を画した個性を守り抜いたこことが、成功の原因の一つ

と述べ、

  『改めて思う。各地方都市が中央に対する武器は、オリジナリティだ。その地方の匂いだ。

   ミニ東京は本物の東京には勝てない』と結んでいます。

どうやら、

地方は中央に対抗すべきだとお考えのようで、地方の応援団の感じがありますす。

さて、本題。

盛岡の国体主会場誘致の「レガシー」は、一体、何だったのだろうか…ということを考えさせられてしまいます。

盛岡タイムスの2009年5月14日号には

 「国体を通じ、盛岡、広域圏の将来の大きな発展につながる思いを最後まで訴え続けたい。

  皆さんと次代を担う子供たちに大きなプレゼントができると信じている」

という発言があったとの記述があります。

(「盛岡広域圏の発展」を考える続けること、

 子どもたちに「夢や感動」という大きなプレゼントをしてあげる方法を考え続けることが

 国体主会場誘致活動のレガシーになるものだと思っていたのになぁ…)

と、感じています。

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驚いたこと、二つ。

内館牧子さんが、岩手日報を読んでいること。

  (あの記事はネット版には載っていません。ですから、本物の岩手日報を読んでいるはずです)

21世紀になっても、週刊朝日の発売日が東京と盛岡で違っていること。

  (私が子どもの時は、

   少年ジャンプや少年マガジンや少年サンデーが東京の一日遅れ発売だったと覚えています。

   列車で運ぶから…と教えられたような気がします)

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さて、明日は盛岡南公園球技場トップイーストリーグ「日本IBMビッグブルー vs 釜石シーウェイブスRFC」の試合があります。

釜石シーウエィブスの「盛岡での試合」は今シーズンの最後となりますし、

たぶん、

記念すべきゲームになると思います。

2001年に、新日鐵の企業チームから地域クラブに、いち早く、移行したシーウェイブスが、

去年までプロ選手を擁しトップリーグで戦っていたものの

「経営環境の変化」を理由として今期から「社員中心チーム」に形態を変えた、

つまり、

「企業支援チーム」から「クラブチーム」へと変化し、26名が引退・退団、4名の新加入者という状況でシーズンを迎えた

「日本IBM」に挑戦するからです。

どうでしょう、現場で見てみませんか