がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

54点と92点

今朝、通勤途中、片側2車線で交通量がかなり多い、国道四号線盛岡バイパスの道端・押しボタン式信号の「たもと」に、散歩の途中でしょうか、初老の男性がたたずんでおりました。

(あ、道路を渡りたいんだな)

果たして、信号のボタンを押し、横断歩道を渡りはじめましたが…

自分が停めた車の数の多さに驚いたのでしょうか、運転手の視線を感じたのでしょうか…

急に走り始めました。

(走ってわたっても、信号が早く切り替わるわけではないのに…)

でも、気持ちはよくわかります。

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今日の岩手日報です。

16年岩手国体の開催地選択競技 軟式野球に決定 県準備委員会

2016年に開催予定の岩手国体に向けた県準備委員会は3日、県庁で競技専門委員会を開き、軟式野球銃剣道を選ぶ開催地選択競技を軟式野球に決めた。16日の常任委に報告し正式決定する。

理由として�@県北・沿岸地域など多数の市町村から開催希望があり既存施設を活用して開催できる�A全県的に組織が設置され、競技人口が多い�B多数の選手・監督の参加が予定され地域との交流や経済効果が期待できる≠フ3点を挙げた。市町村の希望と競技団体の意向、過去の国体成績などを点数化した評価(百点満点)では、軟式野球92点に対し、銃剣道は54点だった。

県準備委は、全38競技のうち、軟式野球を含めて会場地の決まっていない19競技について会場地選定を進めている。(岩手日報朝刊 2009/09/04)

簡単に説明しましょう

 ▼国民体育大会の主催者である日本体育協会は、「大会の充実・活性化」と「大会運営の簡素・

  効率化」を二本柱とした「国体改革2003」に基づき国民体育大会の「改革」を行なってきた。

 ▼「大会の簡素・効率化」の観点から、実施競技の見直しが行なわれ、

  毎年実施する競技と、一年おきに実施する競技(隔年実施競技)が定められた。

 ▼具体的に言えば、

  一年おきに実施する競技は「軟式野球」「銃剣道」「なぎなた」「トライアスロン」で、

  「軟式野球銃剣道」「なぎなたトライアスロン」がセットになって、一年おきに行なわれる。

 ▼ただし、隔年実施競技のうち、開催年に行なわれない競技の一つを、開催地が選択して実施

  する競技(開催地選択競技)として実施が認められている。

 ▼この制度は、いろいろあって実施が遅れたようで、2015年の和歌山大会から実行される。

 【参考】

  2015年 和歌山 隔年実施=軟式野球銃剣道、開催地選択=なぎなた

      実施せず=トライアスロン

  2017年 岩手  隔年実施=なぎなたトライアスロン、開催地選択=軟式野球

      実施せず=銃剣道

  2018年 愛媛  隔年実施=軟式野球銃剣道

      開催地選択のうち「なぎなた」が会場市町村内定一覧に示されている段階

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◇ほらほら、へそ曲がりのhirafujiさん、何か言いたいことがあるんでしょう?

 この件に関しては、ここにも、ここにも記事があったりしますね。

◆54点の競技を100点に近づけようとせずに、すでに92点もの高い実力を持つ競技を採用する…

 決まった事にどうこういうつもりもなく、そんな立場にもないけれども、

 もしも私が委員であれば、最後まで「54点」の応援に回ったと思うよ。

◇なるほど。

◆1970年の第25回岩手国体で初めて岩手に導入されたスポーツ、

 つまり、その時点で「0点」のスポーツが、99年のインターハイを経験し、オリンピック選手を

 出したり、あと少しでオリンピック選手を出すまでに発展してきている事実もある。

◇なるほど。

 「スポーツは育てるものだと思います。」ですね。

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そんなこと言っても知らないよという人のために、

顰蹙を買うのを覚悟で、

イビチャ・オシムさんの「理論訴求メッセージ」を使った、totoの広告文を載せます。

 スポーツは、育てるものだと思います。

  スポーツとは何でしょう。

  見て楽しむもの?やって楽しむもの?どちらも正解でしょう。

  しかし、完璧にエレガントな正解とは言えません。

  スポーツとは、育てるもの。

  人の心を育て、体を育て、チームワークを育て、夢や情熱を育てるもの。

  そして、そのスポーツもまた、育てられることを必要としています。

  スポーツには人生と似たところがあり、

  何かを成し遂げようと思えば、必要な条件を整えなければなりません。

  スポーツが人を育てるように。

  人もまた、スポーツを育てていく必要と責任があるのです。

  日本での6年間は、わたしにとって複雑な6年間です。

  やり遂げた、と自己評価できる部分もありますが、やり残したことも多い。

  経済の影響で日本が元気を失いかけている時に

  日本を離れなければならないことは、わたしの人生の中でもかなりつらい決断でした。

  ですが、わたしは願っています。

  日本のみなさんが、日本のスポーツに愛情を持ち、育てていくことを。

  そして、そう遠くない将来、日本のスポーツが世界を驚かせる

  大きな、魅力的な果実を手にすることを。

  イビチャ・オシム