がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

39年前の挑戦(終)

農場でできた農産物は「とれたて」ですから、数が少なく

♪ 疾風のように現れて 疾風のように 消えてゆく ♪

状態です。

これまで、なぜか、私が職員室にいない時に

「タラボ」「いちご」「ほうれん草」…が疾風のように消えていったようです。

今日は「ぶどうジュース」が疾風のように現われました。

喜んで、一本、買いましたが…

(あ、ぶどうが「とれたて」なはずがない!

 去年のジュースを、最近「つめたて」にしただけだ!)

どうりで私が手に入れられるほど、たくさんあったわけです。

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『挑戦!いわて国体 〜140万の可能性〜』

  私が勝手に決めた、2016年に岩手県で行われる第71回国民体育大会のスローガンです。

とは言うものの、一体、スポーツをしない私は何に挑戦すればいいのか…どうせ、hirafujiのお得意「大風呂敷」だろうと思っておられる方々のために、

「39年前の挑戦」と題して、1970年(昭和45年)に岩手県で行われた第25回国民体育大会での岩手県の人たちの「挑戦」を、数回、お伝えすることにしました。

岩手県体育協会業務課ブログに載ったものですが、載せた人の許可を得て再び掲載します(笑))

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という「くだり」で、「エイヤッ」とはじめたシリーズでしたが、

なにか、「ほねおりぞんの くたびれもうけ」のような気がしてきたので、今日を最終回にします。

 最終回の今回は「秋季大会総合ャXター」をご覧いただきます。

  ▼秋季大会は 昭和45年10月10日〜15日

  ▼開会式は  昭和45年10月10日 盛岡市県営運動公園陸上競技

  ▼ャXターモデルは 陸上競技佐々木正三選手

 回顧文は、当時、盛岡市長だった工藤巖さんが

 「岩手県市長会の会長」という立場で書いたものをあげておきます。

 じっくり読んでほしい文です。

国体を顧みて 岩手県市長会会長 工藤 巖

 140万県民が待望久しかった国体、しかしながら、本県の歴史はじまって以来の大行事を果たしてうまくやれるだろうかと、一抹の不安を禁じえなかった国体が、みちのくの青空に、みごとにその華麗な華を咲かせ、岩手の男女総合優勝、天皇杯の栄光に輝いて、大成功のうちに幕を閉じた。会場地市町村長として、こんなに喜ばしいことはない。

 思えば長い道のりであった。国体誘致が正式に決定され、誘致委員会発足以来8年有余、この間、国体のために渾身の努力をつくされ、東奔西走されていた人々を含めてほうふつとして思い起こすのである。

 天候にも恵まれて、開閉会式行事も、競技の運営も、選手役員の輸送も、申し分なくできた。集団演技も極めて好評であった。岩手を訪れた多くの人々からは、美しい自然、きれいな空気、緑いっぱいのきれいな街、整備された道路、そして親切な人々、そういった賛辞がよせられた。

 このすばらしい国体成功の背後には、一本の花をうえ、一つの塵をひろってくれた多くの人々の心の結集があった。栄光は何よりもその人々のものである。早朝から道路や溝の清曹�していた町内会の人々、公園や川原の草刈をしていた青年たち、炎暑の中を募金に歩き回った人々、交通整理にあたってくれた人々、湯茶接待のエプロン姿の婦人会員、制服姿で走り回っていた県、市の職員、まさに一人一役それぞれの分担に従ってその責任を果たそうと懸命になっていた人々の姿は、華やかな開会式や前夜祭などと交錯しながら、今なお鮮明に脳裏に焼きついて忘れられない。

 岩手の選手団は、国体にはつきものであった、いわゆるジプシーを混えないで、予想以上の大差をもって総合優勝を飾り、新聞はこれを純潔の勝利と讃えた。きびしい練習に耐えて、ついにこの栄冠に輝いた選手諸君と指導にあたられた各位に対し、心から敬意を表する。

 特訓を重ねたコンパニオンは、最後の選手見送りを終えるや、相擁してただ涙するばかりであった。

 コンパニオンのこの涙も、天皇杯に流した人々の涙も、そのままに県民の心を表現するものではなかろうか。

 県も各市も国体局を編成し、長期にわたって準備の万全を期した。各部門にわたり、幾たびとなく打ち合わせが重ねられた。知る人ぞ知るその苦労が、全県民の喜びとなって報いられた。

 県も市町村も多額の財政支出を余儀なくされた。県民もまた相当な負担を分かち合った。

 しかし国体は金額ではあがない得ない多くのものを岩手にもたらした。鈍重と呼ばれ、出足が遅いといわれる岩手の人々が、ひとたび力を結集すれば、こんなすばらしいことができるのだ。この自信を今後に生かしたい。

 誠実、明朗、躍進は、そのまま県勢、市勢発展のスローガンでもある。国体を契機に、私たちの岩手、私たちの街を充分に見直す機会を与えられた我々県民は、郷土躍進のために、手をつなぎ、心をひとつにして、あのマスゲームのフィナーレのように、みごとな人の和をきずきあげたいものだと思う。

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今の盛岡市長も、やはり、岩手県市長会会長の職にありますが、

岩手県市長会会長」としての全体を見わたしたコメントを早く聞くことができればいいなぁ…と思います。

それもあって、「39年前の挑戦」は最終回です。