今朝の『岩手山の上の雲』です。
珍しいかたちの雲です。はじめて見たような気がします。
右上の物体は、「くも製造機」ではありません。信号のタイミングをコントロールしているセンサーだと思います。
無粋な物ですが、これがないとスムーズな走行はできないのでしょうね。
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昨日、この3月の卒業生が二人も学校に来ていました。
一人は、
バリッとスーツを着て上司と一緒にやってきて、「営業」の肩書きのある名刺を出してくれた女性。
もう一人は、
私服で職員室を訪れて、(辞めたのか!?)と、みんなにいらぬ心配をさせた、殊勝にも休日を利用して担任に挨拶にきた男性。
一ヶ月間勤めることぐらい当たり前といえば当たり前ですが、
こいつら、よく一ヶ月頑張ったなあ…注文してやらなくちゃなぁ!という気持ちがわいてしまう、
最近の私です。
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『挑戦!いわて国体 〜140万の可能性〜』
私が勝手に決めた、2016年に岩手県で行われる第71回国民体育大会のスローガンです。
とは言うものの、一体、スポーツをしない私は何に挑戦すればいいのか…どうせ、hirafujiのお得意「大風呂敷」だろうと思っておられる方々のために、
「39年前の挑戦」と題して、1970年(昭和45年)に岩手県で行われた第25回国民体育大会での岩手県の人たちの「挑戦」を、数回、お伝えすることにしました。
(岩手県体育協会業務課ブログに載ったものですが、載せた人の許可を得て再び掲載します(笑))
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39年前の挑戦(その6)
昭和45年に岩手県で開催した、
第25回国民体育秋季大会の
総合開会式(1970年10月10日)で入場行進する、
岩手県選手団です。
鈴木八五平団長、藤原哲夫総監督以下、
本部役員35名選手監督801名が
秋季国体に参加しています。
今日は、
「報告書」から盛岡第二高校2年久慈みち子さんの「プラカード補助員として」という文をご紹介します。
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プラカード補助員として 盛岡第二高校2年 久慈みち子
「みんなひとやく躍進国体」――まさしくこの標語のように岩手国体は全県民一丸となって協力し、その成果を勝ち得たのだ。
選手、運営にたずさわる人は勿論のこと、県民はすべて、国体期間中はテレビに吸いつけられて仕事もろくに手に付かなかったという人などの言葉がこれをよく物語っているものである。
私はプラカード補助員56人の1人として国体に参加することができた。担当の県は「岩手県」であった。
プラカード係の感想――たいていの人は「楽しかった」ということである。
国体の補助員をしたことは楽しく、いろんなことを学べた。他県の人と接することができたことがまず第一であろう。
青春時代の1ページに感激の新たなものとして長く刻み付ける事のできたことを本当にしあわせに思う。
おもいおこしてみると私達は自分の受け持った県にこの上ない愛着と責任感を感じたのであった。
開会式のとき自分の担当する県の選手のところへ行くときの期待と不安感。皆をひきいて先に歩く責任感。
自分の県という気持ち………「道であっても自分の担当する県の人に会うとうれしかった。相手の人の名前もしらないし、相手も自分のことを知っているはずはない人だけど。」………「岩手県と自分の県との試合じゃ、やはり自分の県に応援してしまうネ。新聞みても気になるし。」これはあるプラカードの人が話していたことであるが、こういう気持ちはみんながもったようである。
そういうことで、会って5日後、閉会式のときはさみしかった。遠くはなれた県ともなればなおさらであったろう。
ところではるばる他県から出かけて来た人々に岩手県はよい印象を与えたろうか?。美しくそびえる岩手山をみてもらえたろうか?………そしてお互いに人間的交流を深めることができるようにといのっていたのだったが………。
担当の県の思いやりの気持ちは何よりうれしかった。特産物をもってきてくれた県、ユニフォームをくれた県、最後に「ありがとう」といってみんなで握手をしてくれた県などいろいろであったようだが、岩手県も今後他県の国体に参加したときはこのような気持ちでプラカード係に接してあげてほしいものと考えたのは私1人ではなかろう。
私は「岩手県」を担当したが後ろの方で、堂々と行進する選手団、観客の声援を感じて失敗しないようにと私は責任を感じて身の引きしまる思いであった。
うれしかったのは、やはり天皇杯を獲得したことであった。後ろのほうで、天皇杯を持って泣いている今野さんや団長さん、顧問、選手の感激の波がつたわってきて本当によくやったなあとおもった。
「国体は成功ですなあ」という係りの人達の声や、漢字で書かれたプラカードを見て「岩手だ」「岩手だ」と大声をあげる幼稚園児、「よがったなす」というおばあさんたちの声を聞くにつけ、私はよい経験をさしていただいたと、私なりに岩手の姿、岩手県民の心を感じることができた事を感謝している。