今朝の岩手日報には、「岩手県バイコロジーをすすめる会」の活動の様子が載っていました。
その会の会長は岩手県自転車競技連盟の会長である紫波町長の藤原孝さんで、
会の構成員は「岩手県自転車競技連盟の役職員」とありますから、当然、紫波総合高校の自転車競技部もお手伝いに行っています。
(なお、この会の活動は5月にも行っており、その時も、自転車競技部員がお手伝いしています。)
そういえば、今日の午後、研修を受けに行くときに、「亀が池」のところを通ると、テレビカメラやら交通指導員さんやらで賑やかでした。
自転車専用レーンの東大通「ブルーゾーン」と大通りの「駐輪場」の供用が開始されたようでした。
(あ、自転車で来れば、テレビに映ったのかなぁ…)
と、天気予報を見て、歩いてきたことを悔いましたが、
果たして、研修終了時には雨が本降りになっていて、傘を持っていったことが正解であることが証明されました。
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気になって、調べてみました。
やっぱり「紫波自転車競技場」も、「昭和45年の国体を契機に」という施設の一つでした。
岩手日報社から出ている「岩手のスポーツ人」という本によれば、
1968年秋にバンクのついた「紫波町営自転車競技場」が完成したとありました。
それ以来、
70年の国民体育大会、72年の青森インターハイの自転車競技、99年の岩手インターハイと大きな大会を開催し続けていますし、プロの選手やオリンピック選手も、このバンクから育っています。
もちろん、
施設があるからということのみではなく
競技団体や町の人たちが、大会を運営したり運営を支えたりする力を蓄えてきたことも、およそ半世紀の時間を経て「自転車競技といえば紫波町」と呼ばれるようになった理由だと考えます。
たぶん、
2016年の国体の自転車競技の会場も、すんなりと紫波町に決まることと思いますが、
1970年からの半世紀と、2016年以降の半世紀が同じものでよいとは、到底、考えられません。
岩手町は70年の国体でホッケーに取り組み、今年、初めて、町からオリンピック選手を出しました。
同じく矢巾町に導入されたカヌーは、今年、オリンピックまで「あと20センチ」の選手を育てています。
紫波町に限らず、すべての街が、「次の50年間」の作戦を立てて、何かを考える必要があるだろうなぁ…と考えています。
と同時に、
すべての競技団体も、同様に「次の50年間」を考えてゆかなければ…とも考えます。
あと8年しかありません。
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◇へへへへへ。あと8年しかありませんねぇ。
◆あっという間だよ。
しかも、2016年の国体の前には、もう、3年しかないけれども、
2011年に北東北インターハイがあって、岩手県では10競技をすることになっている。ふぅ。
◇おとといのお話ではありませんが、
『インドの仏教では、人が死んでから49日後にどこかの世界に生まれ変わると考えらている。
その間、人は幽霊のような存在で、7日ごとに小さな生まれ変わりの区切りがある。
この、古い生と新しい生との間の中間的な49日間が終わった節目に法要をするのである。』
ということを考えて拝むのと、
『そういえば49日目には、なんだか知らないけれども拝むんだよな。これ常識!』
とか言って拝むのでは、だいぶ違うでしょうね。
でも、あと8年ですか…。
ボーナスはあと17回ですか…。
あっという間ですね…。
◆な、何の話?
◇hirafujiさんの定年までの年数!
◆…。