がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

「やめる」と「しない」

蒸し暑い日が続いています。

今日は、来週10日に開幕する夏の高校野球県大会の「壮行式」が行われました。

大災害があってこの体育館が避難所になったら、弱ってしまう人がたくさん出るだろうな…と思ってしまうほど本当に体育館は蒸し暑く、なかなか集中しづらい環境でした。

でも、壇上の野球部員が、

『ありがとうございました!』

とキャプテンのリードで、大声で、声をそろえて、挨拶をした時は

「水を打ったようになった」と表現すればいいのでしょうか、一瞬、体育館中の空気が動きを止めたような気がします。

その後、自然に拍手が沸きあがったことは、言うまでもありません。

「集団行動」というと、「縦横をそろえて並ぶ」とか「一糸乱れぬ行進をする」とか、何かの「行為」が思い浮かびますが、

全員が同じものに注意をはらったり、同じことを感じ取ったりする「目に見えない」ことも、「集団の行動」と言えるのかなぁ…と、考えてしまいました。

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◇たぶん、違います。

◆だよね。「行動」だからね。

◇そうです。

 ためしに調べてみましたが、「行動」は「観察可能な反応や行為」とされています。

◆だよね。

 他の人から見てわからないと「行動している」とは言えないよね。

◇そうです。

 どんないいことを考えていても、実際に身体を動かして「行動」しなければ、何も考えていないと同じ。

◆そうだね。そのとおりだと思うよ。

 ところで、「やめる」ことは「行動」だろうか…

◇「やめる」ことは、している行為を止めるための「行動」だと思いますが、

 「しない」ことは、するべき行為を行わないので「行動」では無いんじゃないですかねぇ…

◆なるほど、そうかもしれない。

 でも、今日は、何を言いたかったか、なんかよくわからなくなってきた…

◇頭が回らなくなってきましたね。金曜日ですからね。

◆そうだね。最近、金曜日はヘトヘトだからね。

 ところで、キリスト教では「やめる」ことはどう考えているんだろうかね?

◇えっ!?

◆ほら、よく神父さんが二人に誓わせるじゃないか…

 「やめるときも健やかなるときも」…って、結婚式のチャペルで

◇そ、それは「病めるとき」です!