◆ツララの写真かぁ。(3/8 岩手日報 朝刊→)
◇そういえば、
今年は、ツララを見ていないような気がします。
霜柱も見ていません。たぶん。
◆『見ていない』には、どうやら、ふた通りあるようですよ。
◇どういうことです?
◆一つは、「無い」から見ていない。
◇当たり前です。
無いものが見えるのは「幻覚」というんですよ。
今年は、暖冬だから、ツララも霜柱も無いんじゃないですか?だから見ていない…と。
◆あれ!?
さっき、トイレに行く途中、廊下から会議室の軒下を見たら、ツララがどっさり下がってたけど?
◇えっ!?(と、事務室を出てゆく)
(戻って)本当でした。今日だけ下がっているのではなさそうな様子でした。きっと、昨日もあったんでしょうね。
◆「ある」のに見えていない…
◇ああ、これが、もう一つですね。
デジカメで美しい山を撮ったつもりが、電線だらけで使い物にならない写真…
hirafujiさんがお得意ですよねっ!
◆でね、考えてみたんです。なぜ、毎年、「前と同じ」ことをするのか…と。
問題があるのに見えていないのか、あるいは、そもそも問題が無いのか。どちらなんだろう、と。
◇後者とは考えづらいですがねぇ…
でも、その考えでは、まだまだ、不十分だと思うのですが…
◆えっ!?
◇問題の有無は、いわば、マイナス要因ですよね。
もう一歩踏み込んで、プラス要因の検証、
つまり、「これから伸びる要素」があるのかどうかを「見る」ことも大切だと思いますよ。
◆…うっ!
【そういえば、最近、見ていないもの】
霜柱、虹、夕焼け、リヤカー、はなたらし、馬、弟、流れ星………自分