がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

がんばれ★黒工�A

昨日は、実は忙しく… とにかく、松尾上寄木グランドに直行し、ラグビー観戦(お土産は下の写真)
  【左:途中の田んぼ越しの岩手山、右:ラグビー場からの岩手山
最も興味のあった最終試合(盛岡工業高校″舞�尻北高校、岩手高校$キ岡第三高校)の途中で帰り JRで一路、北上市へ 黒沢尻工業高校ラグビー部OB会が主催する 『高橋正栄先生御勇退佐々木正春先生還暦を祝う会』に出席です 高橋正栄(まさえ)氏は『鬼軍曹』の異名で知られた方 吉田譲治・野田修三(故人)・佐々木正春などの名監督をコーチとして支え、全国大会:準優勝1回・3位4回、国民体育大会:優勝5回・3位1回などの高い実績を残されたほか、自身も監督として全国大会に選手を連れて行っています いわば『黒工の大番頭』として大活躍。99年に一関工業高校へ転勤され、今年3月に定年退職 佐々木正氏は、69年から71年までコーチ、野田監督を引継ぎ82年から91年まで監督。その間、89年まで連続で全国大会出場、ベスト8に2回進んでいる。現在、宮古高校校長………… 会は当時の選手達を中心に130名程度の大盛会。ジャパンのジャージを着た方々もごろごろと…というところです 記念品は、OB会から額入りの『黒工』のジャージ。他にも東京三洋から記念のネクタイ、日立製作所からも記念のジャージ。お二人のご人徳でしょう 実は私も、83年から85年の3年間、黒沢尻工業高校に勤務し、ラグビー部にコーチとして関係しておりましたので出席した次第ですが 私がいた頃は、山口大津に負け、次の年も山口大津に負け、その次の年は、脇町(徳島)→花園(京都) いろいろと悔しいことがあって、正栄さんと道頓堀にかかる日本橋の欄干に寄りかかっての『酔っ払い二人の男泣き』…を思い出します あの頃は、練習が休みになるなどと言うことも無く、したがって、子どもの運動会なんか行っているはずもなく…家庭は奥さんに任せっぱなし ステージの上で、奥さんが顔を涙でグチャグチャにしている気持ちも良くわかります りっぱな生徒を育ててくださって、ありがとうございました 【高橋正栄氏の略歴をチラシから】 (佐々木正春氏は後でまたお知らせする機会があると思いますので割愛させてください) ▽67年 ラグビー部顧問となる ▽71年 東北大会初優勝、和歌山国体優勝 ▽72年 全国大会3位 ▽73年 千葉国体優勝 ▽75年 全国大会3位、三重国体優勝(天覧試合) ▽77年 全国大会3位、青森国体優勝 ▽78年 全国大会2位、長野国体優勝 ▽80年 全国大会3位、栃木国体3位 ▽81年 汎太平洋ユースラグビー大会(台湾)に日本代表チームとして黒工が出場4位 ▽89年 全国大会べスト8、北海道国体3位 ▽92年 監督として初の全国大会出場 ▽93年 黒工23回目の全国大会出場(本人21回目)
【92年に3年ぶりの全国大会出場を決め胴上げされる高橋監督=黒工ラグビー部OB会から】
【追】 OBの気持ちは『黒工復活』がすべてでした。がんばらなくっちゃ! 【追2】 当時の部員から「hirafujiさん、ずいぶんチッチャくなったんでねが?」「なぬぅ、今年50になるってが?」「昔はスゲがったっけじゃな〜」と冷やかされ、さらに旧悪を暴露されっぱなし。名刺交換をすると「取締役社長」やら「常務取締役」やら「花巻営業所長」やらごろごろと。さすが、100人ぐらいの部員から選手として選ばれるほどの人たち 今年40歳だそうです。抜かれていないのは歳だけで、その他は完全にやられちゃっていました!