がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

心をとられた

「獲られた」か「取られた」か「採られた」かどの漢字が最もふさわしいかはわかりませんが

昨日は2回、心を「とられて」しまいました

感動ではない、放心でもない…何も考えない状態なんですが、うまく説明できません

あるいは「つれて行かれた」という言い方がふさわしいかもしれません

『お題目』

11時のお葬式に行きました

友人葬というお葬式だとの説明がはじめにありました

周りの方々は一生懸命に「法華経」を唱えて、それが終わると焼香の間ずうっと「お題目」を唱えています

焼香を終えて、お題目の合唱の中に戻ると、お題目が終わるまで何も考えることができませんでした

われに返って、お葬式では初めての経験かなと考えましたが、仏事では「お念仏」(百万遍?)の時もこんな感じになったことを思いだしました

南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」どちらにも「心をとる」力があります

経験はないのですが、たぶん、「賛美歌」のなかにいても同様な状態になるだろうと想像できます

『炎』

昨日も帰りはIGRでした

駅に着くと乗ろうとした列車は強風のため運休。あと30分待たなければなりませんでした

待合室のベンチに「ぼぉ〜」としていましたが

静かな待合室の中に、ときどき、パラパラ・パラパラと小さな音がします

ペレットストーブからの音のようです。そうに違いありません

ペレットストーブの前面には窓があり、燃えている炎が見えます

火が弱くなると「パラパラ・パラパラ」と炎の中にペレットが落ちてゆくようです

ペレットが落ちると、火の粉がストーブの中に上がります

火が消えるかと思うほどペレットが落ちてゆくと、突然、大きな炎が上がります

そして火が弱くなると、また、「パラパラ・パラパラ」から繰り返します

「行き先のボタンを押してください」という合成された女性風の自販機の唐突な「音」で、われに返りました

焚き火を見ていても同じような状態になることは経験済みです

『炎』にも「心をとる」力があるようです

『船越保武』

おまけです

岩手県立美術館2階の船越保武展示室に「心をとられる空間」があります

奥のつきあたり

「長崎26殉教者記念像」レプリカを正面に見て

「ダミアン神父」と「原の城」の中間に立ってみてください

 やられます!

【追】

今日になっても数字が動く…こんな状態ですから『心をとられ』やすい状態なのかもしれませんね

ふたたび「怠け者は夕方忙しくなる」で、反省しています