昨日は息子の卒業式
私は、東京本社からの、嫌がらせかとも思われる『突発』で出席できなかったので、妻が一人で出席しました
呼名の返事(卒業生の名前を担任の先生が読み上げ、一人ずつ返事をします)も立派だったし、式典も厳粛で…と、感動の様子でした
家では寝てばかり、返事は「ぅ」の子どもが、きちんと何かをしている姿は、家の人に感動を与えるものなんだなと再認識しました
そういう意味で、
スポーツの「追っかけ」父母がたくさんいる意味も分かります
『寝てばかり、返事は「ぅ」』が、一生懸命走っている姿は、親に安心と感動と少しの自慢を与えるものでしょう
しかし残念なことに
子どもの卒業とともに、熱心にグランドに来られていた親御さんが来なくなってしまうことが多いようです
これは、当然なことのようですが、よく考えればもったいないことです
グランドに来られた『子どものファン』を『スポーツのファン』にするチャンスを逃しているからです
「子どもの追っかけ」さんを、「スポーツの追っかけ」さんにバージョンアップしてあげないといけませんね
『スポーツを見る人』も『スポーツを楽しむ人・一緒にゲームを作ってゆく人』であるという発想で、なんとか工夫してみませんか?『追っかけ』の誘導を