がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

ぼうず、お前は身が軽いな

今日、岩手県唯一のゴールドメダリスト、三ヶ田礼一さんの講演を聞いた その中で、「どうして今があるのか」という部分をとりあえず、ご紹介したい 【以下 講演から】 ■安代町(現八幡平市)田山に住んでいて、小さい頃から、スキーのインターハイ・国体などを応援に行った。「すごいな〜、あんなふうになりたいな〜」とお兄さん、お姉さんたちへの、憧れを持っており、小学校4年生で迷わずスキースポーツ少年団へ(スポーツ少年団は4年生以上が入団できる) ■その指導者がジャンプをすすめてくれて、ジャンプを始めた (事実関係に誤りがありました。訂正します。直し文は「青」、原文は「黄」です。07/03/31) ■5年生のとき、盛岡で、札幌オリンピック(1972年)70m級ジャンプのゴールドメダリスト笠谷幸生氏の講演会があった。午前は今やっているような講演会、午後は、各競技に分かれての実技講習が行われた ■5年生のとき、札幌オリンピック(1972年)があった。70m級ジャンプでの表彰式で<3本の「日の丸」が揚がった。金:笠谷 幸生、銀:金野 昭次、銅:青地 清二である。感動した ■その年、盛岡でゴールドメダリスト笠谷幸生氏の講演会があった。午前は今やっているような講演会、午後は、各競技に分かれての実技講習が行われた ■ジャンプの実技講師は笠谷氏であった。大人や高校生に混じって実技をやっていると、自分にとっては「遠い夢の存在である」笠谷氏から「ぼうず、お前は身が軽いな」と声をかけられた。その時、なぜか、「頑張ればオリンピックに出られるかもしれない」と思った ■帰りのバス中ではみんな疲れて寝てしまっていたが、寝てしまうと、声をかけられたことが夢になってしまうような気がして、頑張って一人だけ起きていた。 これがゴールドメダリスト誕生のきっかけである 憧れの選手・夢の選手は、子どもたちがスポーツに親しむ・一生懸命に行うための大きなモチベーションになる 次のような会話がごく普通に聞こえるような街にしたい ▼お母さん、このテレビに出ているオリンピックの選手、ぼくの小学校を卒業したらしいよ。今度、学校に来てお話してくれるそうだよ。 ▼うん、知ってるよ。4丁目の本屋さんの息子さんだよ。魚屋さんがコーチしてるスワュでやってたよ ▼へえ〜。ぼくも、来年からスワュやってもいい? ▲昨日さ、おじいちゃんと自転車で県営体育館行ってさ、世界選手権見てきたんだよ。オリンピックに出たアメリカの人がいたっけよ。かっこいっけよ。みんなで放課後ミニバスやってみない ▲へー。うちのばあちゃんボランティアでその大会の通訳に行ってるよ ▲うん、うん、ぼくも毎朝、お父さんと、町内会で育ててる「歓迎花壇」に水やってるよ。昨日は、外国人に「ヘロー」とかって言われたよ