がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

見出しと調査の違い/調べてみると面白い

Thinking about the gap between news headlines and surveys.

Related to Cancellation of Inter High school athletic meet.

2020年の夏の全国高校総合体育大会(インターハイ)が中止になりました。

この大きなニュースに踊る見出しは…

■"インターハイ中止"に「悔しい…」 残念がる生徒たち 指導者「この経験を糧にしてほしい」→Link

■インターハイ中止に「ショック」指導者の声→Link

■インターハイ中止に各競技で落胆と励ましの声…大学進学などにも影響→Link

大変なことだ!

と、これをみて感じてしまうのですが、

以前、目にした、国の調査では、

生徒・教員の部活動への意識が、ニュース見出しとはちょっと違うような記憶がありました。

報道と調査の違い…どうなっているのでしょう。

***

「平成29年度運動部活動等に関する実態調査報告書」という、スポーツ庁が発行した調査報告書があります。

その調査は

対象を、学校長・教員・生徒・保護者・部活動指導者(教員ではない人)とし、

実態や考え方・感じ方などの多くの観点から質問しています。

国の部活動改革の基本となるデータですので、

興味のある方もない方も、一度、さらっと眺めておいてください。(この下線部をタップするとありかに行けます)

今日は、そのなかから、高等学校に関して

■教員の

 ・指導で重視している点

■生徒の

 ・所属する目的

 ・活動のよい点

■保護者の

 ・活動に期待する点

 ・活動のよい点

の5点について、教員・生徒・保護者が、どう考えているのかということを、調べて見ました。

結論を言うと

5項目中それぞれで上位3番に入ってきたもの

つまり、

多くの人が、期待していたり、成果が現れたと感じているもの

次の6つの観点でした。

�@5回…チームワーク・協調性・共感

〃5回…体力・技術の向上(含:技能レベルにあわせた指導)

�B2回…仲間が増えた

�C1回…自発性・主体性の育成

〃1回…大会・コンクール等での良い成績

〃1回…社会性を養う

いかがでしょう、

どうやら、部活動で

ニーズが高く、成果も出ているのは、チームワーク・協調性・共感を養うことと、体力・技術の向上の二つのようなのですが、

ニュースの見出しは

インターハイの中止が部活動の終わり…のような振り方、記事もそのテイストでの書き方です。

もちろん、

生徒のほぼ 1/3 が部活動の目的として「大会・コンクール等での良い成績」を上げていますから、

大会の中止が、生徒や指導者、準備に当たってきた方々に大きなショックを与えることは、よくわかります。

でも、

部活動には、さまざまに側面があるのだということも頭に入れて報道と付き合った上で、

自分の考えをまとめることが大切です。

特に、

このような混乱期には。

そして、気がついたのです。

私ができるお手伝いは、

見出しにならないこういう資料を、みなさんにお知らせすることなのだろうなと。

***以下、資料***

教員が「重視している」のは(2つまでの回答)

�@生徒の自発性・主体性の尊重と育成

�Aチームワーク・協調性・共感

�B生徒一人一人の技能レベルに応じた指導

そして

「大会・コンクールで等での良い成績」は4番目

生徒の「所属の目的」は

�@大会・コンクール等で良い成績を収める

�A体力・技術を向上させる

�Bチームワーク・協調性・共感を味わう

生徒が「良いと思う点」は

�@チームワーク・協調性・共感を味わえている

�A体力・技術が向上している

�B仲間が増えた

なお

「大会・コンクール等で良い成績を収められた」は5番目

保護者が「部活動に期待している」のは

�@チームワーク・協調性・共感を味わう

�A社会性(挨拶・礼儀等)を身につける

�B体力・技術の向上

そして

「大会・コンクール等で良い成績を収める」は5番目

最後に

保護者が「良いと思う点」は

�@チームワーク・協調性・共感を味わえている

�A仲間が増えた

�B体力・技術が向上している

で、

「大会・コンクール等で良い成績を収められた」は8番目

***

こんな文を読みました。

終戦の前日に隊の全員で階級章をむしり取り、軍隊手帳や軍刀までをも焚火の中に放り込んで焼いたという手記の中の場面について、一体どんな気持ちがしたかと尋ねても、

「どういう気持ちって…まあ言われるままに焼いたよね」

「周りは一体どんな反応だった?」

「反応とは?」

「その、動揺したり、反発があったりとか」

「そういうのはないねえ。命令だからさ」

「……。でも、何て言うの、ほら、階級章や軍刀なんて、それまでの価値観からすると、ものすごく意味のあるものなわけでしょう。そういうものを突然焼かなくてはならないわけだからさ。そこはやっぱり感情的になったりとかさ…」

「いやあ、わりかしみんな淡々としてたよね。だってしなくっちゃしょうがないんだもの。上官の命令は絶対、だからさ。ふふ。むちゃくちゃだよね」

「……。あのね、調べてみるとね、情報部の他の資料でも同じような場面の記述も出てきて、上から終戦を伝えられた時には錯乱状態になって泣き喚いたらする将校が居たなんて書いてあったりもするんだけど」

「はあ、そうなの」

「そういうのは、おじちゃんのいたとこでは」

「ないねえ。えへへへ」

と、一貫してこんな具合でありました。伯父は、こちらが勝手に想像するような都合よくドラマチックなエモーションの類いは一切もち合わせず、リップサービスの一片すら覗かせないのでした。

その時代に生きた当事者の中には、案外このような「軽やかさ」のようなものも存在したのだということもまた、私にとっては新鮮な発見でした。

西川美和,その日東京駅五時二十五分発「あとがき」,平成27年,新潮文庫Link