がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

女子中学生の柔道着

2日の土曜日に岩手県立美術館で「横尾忠則ャXター展」を見たことはこのブログでお知らせしました。 3日の日曜のことは秘密にしていようと思ったのですが、話が進みませんので書いてしまいます。 フォーラム盛岡で映画「東京家族」を見ていました。もちろん、「夫婦50割引」での鑑賞です。 映画の背景に横尾忠則さんのャXターが何枚か出てきたことには気がついていましたが、 エンドロールに「スペシャルアドバイザー:横尾忠則」という表示を見て驚きました。 調べると、 こんな素敵なイメージャXターを油絵で書きおろしていたということです。 ご本人の講演を聞いて、展覧会を見て、スタッフとして参画した映画を見て…。 何か、不思議を感じます。 これ、 「紀子さん」が自転車でキキキーと小回りをする「Y字路」ですよね。 ********** 自分、単純だよな、本当にそうなの? と考えたことあるの…と。 ********** 今日、午後、会議に出ていました。スポーツの会議ではありませんが、説明員です。 女性の委員の方がこういう趣獅フ発言をなさいました。  ■今日、中学生の娘が、この寒いのにストッキングをはかずに、素足で登校しようとしていた  ■理由を聞いたところ、今日は柔道の授業がありストッキングをはくことができない、とのこと  ■ところで、なんで「武道必修化」になったんだ  ■ところで、なんで全員が「柔道着」を個人で買わなきゃいけないんだ。しかも刺繍の名前入り。 これ、私が担当している分野ですから、手を挙げてお答えしたわけです。 武道必修化については、以前ブログでまとめていた、こんな感じでお答えしました。わかっていただけたと思います。 中学1年生の女子生徒全員に、刺繍ネーム入りの柔道着を買わせること…については、しどろもどろ、でした。 (柔道の必修は、柔道着の全員購入が不可欠なのだろうか…。) ********** 昨日、笹川スポーツ財団(SSF)のfacebookページに、SSFのサイトへのリンクがはってある記事を発見しました。 「スポーツによるまちづくり」というシリーズの中の「vol.13 スキーと駅伝のまち 秋田県鹿角市」というページです。 書き出しはこうあります。
秋田県鹿角市では2月16日から「あきた鹿角国体2013」(第68回国民体育大会冬季大会スキー競技会)が開催される。冬季国体の開催は旧町村時代を含め今回で5回目となる(昭和28年旧大湯町、平成9年、平成19年、平成23年)。積極的な設備投資を行い、恵まれた競技スキー環境と駅伝の伝統を武器に全国レベルの大会を次々と誘致し、交流人口の拡大を図ることで地域活性化につなげようとしている、スキーと駅伝でスポーツによるまちづくりを進める児玉一市長を訪ねた。
詳しくは、この下線部をクリックして、じっくりとお読みいただきたいのですが、 私が驚いたのは、 『設備投資→大会誘致→交流人口拡大→地域活性化』を担当しているのが「鹿角市教育委員会スポーツ振興課」 であることです。 私は、『設備投資→大会誘致→交流人口拡大→地域活性化』という流れは、 教育委員会ではなく首長部局(秋田県の「観光文化スポーツ部」、盛岡市の「市民部」のような部署)が担当することが相応しいと考えていて、 スポーツの所管を動かすことが一番大切…と考えていたのです。 これが、間違いであることがわかったわけです。 いちばん大切なのは、 所管部局を動かすことではなくて、今ある力で、「スポーツでの地域活性化」をどうするかを考えること… であったのです。 (交流人口拡大による地域活性化は、担当部局への移管が不可欠なのだろうか…。) ********** 岩手大学の浅見先生がお書きになった「剣道好きをつくる指導」という本を思い出しました。 このブログでも記事にしましたが、これまで読んだ剣道指導の本とは、考え方が違う本です。 具体的には  ▼将来的に剣道の高段者や専門的な道に進もうという人たちのための、   鍛練的な指導法や伝統的な日本刀の操作を学ばせる指導法とは別のものであること という前提のもと、  ▼大正時代の剣道団体教授法を源とする   「剣道の専門家が行ってきた動作や攻防」を「反復練習」により身につけさせようとする   「剣道家育成」の方法を転用した授業が行われていた。  ▼この形式の授業が若者たちの剣道離れをあと押ししている。  ▼剣道の授業は、   誰にでも剣道の特性(魅力)を理解させ「面白かったな」と心に残るようでなければいけない。 という認識に立っています。 表紙だって、ほら、剣道着ではなく運動着を着た子どもたちが防具をつけていますし、女の子にいたっては、紙の兜をかぶり新聞紙を丸めた剣を持っています。
柔道は柔道着を着なければならない、 教育委員会の限界は超えられない…思考を停止したままでの「これは、こうあるべきだ…」に侵された私に気がついた一日です。