どうしてこういう不条理が世界的に常識なっているのか。
そういう疑問が湧いてきて、私は緊張した。
ひょっとすると、自分の誤解かもしれない。
もし、そうでなければ、発見かもしれない、と思った。
(外山滋比古、乱読のセレンディピティ、扶桑社)
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2016年7月6日付の
岩手県の地元紙・岩手日報スポーツ欄の記事をお読みになりましたか。
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書き出しはこうです。
地元の期待を一身に受ける岩手国体の本県選手。中でも開催県が圧涛Iな強さを誇ってきた剣道、空手道などの武道は「岩手国体でも地元優勝が続くか」と競技関係者の注目度は高く、選手には「負けられない」という思いが強い。
全国の精鋭と対峙する前に内なるもう一つの敵、開催県ならではの常勝プレッシャーと戦っている。
岩手県選手団を応援する記事です。
重圧に負けずに
優勝しろ!
と、はげましてくださっています。
そして、
選手はとんでもなく努力しているから、
皆さんも応援しましょう!
と、ムードづくりをしてくっださっています。
とてもありがたい記事です。
でも、
震災津波の影響で、
選手強化事業が見直され、
事業量の削減、
つまり、
規模の縮小が行われた選手強化体制下では
本当に
「開催県優勝」に向うことが当然のことなのか
ということも検証してほしいなあ、と、
当時、
「天皇杯(男女総合成績)8位以内」の目標を提案した事務方としては、
いまさら、思います。
あの判断は
「自分の誤解」だったのだろうか。
それとも
なにかの「発見」の糸口だったんだろうか。
■その時の新聞記事を基にした
このブログ記事もお読みくださいませ。
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