がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

存在理由

こらぁ! 何を言うか! 弘前の「ねぷた」は扇型だろうが…だとぉ! という声が聞こえるや否や、 槍が私の頭に、ズブリ。。。
19日に立ち寄った青森県弘前市「弘前市観光館」での出来事。 調べると、扇型ではない、青森の「ねぶた」のように立体になっている 「組ねぷた」 というものがあるのだそうです。 詳しくは、この下線部をクリックして、弘前市のサイトをお読みください。 しかし、 秋田県男鹿市では 「なまはげ」に頭を包丁で切られたり (なにそれ?という人はこの下線部をクリック宮城県大崎市では 「釜神」に腕をかじられたり、 青森県十和田市では 「赤い靴 履いてた 女の子」に連れ去られたり (なに、それとそれ?という人はこの下線部をクリック) 散々な目に合っている私ですが、こんなに元気です! ********** 今日は病院。 午前10時前から午後2時過ぎまで、ほとんどの時間を本を読んで過ごしていました。 何もすることがなくて、本を読むしかない、こういう時間…私、結構、好きです。 今日は 藻谷浩介さんの対談集 「しなやかな日本列島のつくりかた」という本を読んでいました。 60ページから61ページにかけてこういう記述がありました。 無礼を承知で引用します。
山下 そうですね。たとえば、山村の暮らしの豊かさというのは、組み合わせを持っているということにあるんだと思うんです。今や日本の山村は、どんな山奥でも、一時間もあればスーパーへ行ける。だから、山村に住む人たちは、「今日は刺身が食べたいな」と思ったら、車でスーパーへ行って、魚と酒を買ってくることもできるし、あるいは、「今日はちょっと山に入って、新鮮なきのこを採ってこようかな」ということもできる。  もちろん、それはやむにやまれずという部分もありますが、そういう組み合わせの豊かさがあるから、現金収入が少なくても大丈夫というかたちになっていると思うんです。  そういう場所を「効率」という尺度だけで議論してしまうと、暮らしの多様性が見失われてしまう。そうではなく、「効率が悪いのならもっと早く消えてもおかしくないはずなのに、なぜ残っているのか」を考えることが、本当の意味での効率性を議論することにもなると思うんです。 藻谷 ああそうか!私はついつい「残すべきか」とか「残せるのか」という考え方をしてしまっていたんですが、そうではなくて、「高度成長以降半世紀たっても、まだ残っているからには、何か存在理由があるのだ」と考える。なるほど、生態系の多様性と同じで、現にそこにあるものを、浅知恵で否定はできない。
私は、これまで このブログに、 「新しい岩手型国体」という記事カテゴリーをつくって、 考えてきたことを蓄積しています。 (この下線部クリックで、カテゴリーでまとめた記事に行けます。) ずいぶん、考えたつもりでしたが、 先ほどの引用文 「高度成長以降半世紀たっても、まだ残っているからには、何か存在理由があるのだ」 という視点を持ち合わせていないことに気づきました。 「1970年の岩手国体以降半世紀たたっても、まだ残っているからには、何か存在理由があるのだ」 ということを考慮していなかったことを…。 また、考え直さなければなりません。 ********** ◇幸せもの、ですね! ◆な、何が? ◇あんな、ヘンテコな写真を上手に取ってくださる方がいて!  きっと、恥ずかしいと思いますよ、写真を撮っている人のほうが。。。 ◆た、確かに。。。