今日は、お休みでしたが、シンャWウムのパネリストです。
新日本スポーツ連盟岩手県連盟が主催した「第2回いわてスポーツシンャWウム」に参加させていただきました。(シンャWウムの内容がわかるチラシは
この下線部をクリックするとご覧いただけます。)
新日本スポーツ連盟という団体は、
皆さまおなじみの、
国民体育大会を主催する
日本体育協会や、オリンピックに
日本選手団を派遣する
日本オリンピック委員会などと加盟等の関係を持たない団体です。規模も大きくありません。
お断りすることもできました。
でも、チラシにはこうあります。
今後、全てのスポーツ愛好家は、この基本法の精神を学び、関係者とともに現実のスポーツ界にそれを活かす「担い手」になることが求められます。このシンャWウムはそのための第一歩になることを願って開催されます。あなたのご参加をお待ちしております。
お断りするわけには行きません。
果たして、終わってみると、しっかりした中味のイベントでした。
心に残ったのは、
新日本スポーツ連盟会長の永井博さんが基調講演のなかでおっしゃった、こういう趣獅フお話です。
スポーツをする権利を保障するのは「国」や「地方自治体」ではあるが、
スポーツ基本法では、加えて「スポーツ団体」自身の努力も必要と踏み込んでいる。
権利の実現は、行政とスポーツ団体の両者がともに手を携えて行ってゆくべきものである。
まったくそのとおり、と、私も考えますが、
団体の力を借りることで、行政の負担が小さくなる…と誤解してはいけないのです。
「
ゼロサム」の考え方ではなく、両者がともに力を伸ばすことが、スポーツの振興をもたらすはずですから。
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メディアとは何か…
■齋藤■ 可士和さんを見ていると、「シズル」とか「見立て」とか、概念を可士和流に完全に使いこなしていると思うんです。それから可士和さんの本の中には「メディア」という言葉がよく登場しますね。可士和さんは普通に考えると、「メディア」をステージとして活躍されている人です。でも、おそらく普通の人が使う「メディア」と、可士和さんが使う「メディア」の概念はまったく違うと思うんです。そのへんに領域を超えた新しいルールづくりのヒントがあると思うのですが。
■可士和■ 一般的には「メディア」というと「マスメディア」を連想することが多いですよね。でも僕にとっては、「メディア」とは、コンセプトを伝えるための表現ができる場のことです。だからすべてがメディアになる。
■齋藤■ 普通は「メディア」というと、新聞とか、広告とかいいますよね。可士和さんの「メディア」はそうではない?
■可士和■ 違いますね。何でもメディアになります。何でもメディアに見立てられる、といったほうがいいのかな。
■齋藤■ 可士和流でいくと、あり得ないものがメディアになるということですか?
■可士和■ はい。一番最初にそう思ったのは、「チビレモン」という小さなキリンレモンを作ったときです。キリンレモンをリニューアルしたいというクライアントの思いがあって、でも炭酸飲料の売り上げは落ち込んでいる。いわば時代の流れに逆行している商品をどうやってリニューアルしたらいいのか、僕も悩みました。
■齋藤■ かなり難しい依頼ですね。
■可士和■ それで自分がどんなときに飲み物を決めて買っているか、自分の行動を検証することにしたんです。するとたいていコンビニに行って、そのとき目に止まった物を選んでいる。ということは商品が並んでいるコンビニの棚がメディアになるのだ、と気がつきました。
そのとたん、コンビニの棚という表現媒体で、どうやって目立たせるかというアイデアが一気に広がりました。あれが僕にとって初めてメディアを発見した瞬間でしたね。
30人のミニミニシンャWウムに参加して現状や意見を述べることも「メディア」です。
コンセプトが伝わるわけです。
私、結構、執念深いので、また書きますが、
まがい物のマスコットキャ
ラクターでも名刺に印刷してほかの方々に配れば、イベントそのものを告知する「メディア」になるのになぁ…と思っています。
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本は本を呼ぶ…といいますが、今まで、
「ある本を読んで、それに導かれて、次の本を買って読む」ということだと思っていました。
そういう体験を、何度もしていたからです。
でも、今日、
さきほど引用した『
佐藤可士和の 新しい ルール づくり(筑摩書房)』を読んで、
過去に読んだ本2冊を、なんとしても読み返してみたくなりました。
「ある本を読んで、それに導かれて、前に読んだ本を探し出して再び読む」ことも
「本は本を呼ぶ」ということのようです。
あ、呼ばれた本はこの2冊でした。
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佐藤可士和のクリエイティブシンキング(日本経済新聞出版社)
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営業部は今日で解散します。 〜「伝える力」のアイデア帳 〜(大和書房)