がんばろう!岩手のスポーツ

岩手スポーツ応援団長を勝手に名乗る平藤淳の個人的なブログです

体協いわて発行/ほめられた

TAIKYO IWATE, public relations magazine of Iwate Sports Association can be seen on the Internet.

公益財団法人岩手県体育協会の広報誌

「体協いわて」2019年3月号・通巻84号が発行され、

このタイミングで、2018年12月号・通巻83号とともにサイトからダウンロードしてお読みいただけるようになりました。

この下線部をタップすると、ダウンロードできるページに行きますので、

どうぞお読みくださいませ。

***

3月19日は東京で会議をしておりました。

日本スポーツ協会のビル・岸記念体育会館が会場です。

東京でオリンピックが行われた年・1964年に建てられた建物で(→リンク

今年の5月ごろに、新しい国立競技場のそばに移転新築となるものです。

私にとっては「最後の岸記念体育会館」の予定です。

それはさておき

会議の後の懇談会が、この会館の一階で行われました。

立食です。

立食では、どうしてもブロックごとに集まってしまう傾向があります。

果たして、その日も、

東北の皆さんと集まってお話をしながら、飲み食いをしておりました。

しばらくすると、

知らない人が、遠くのテーブルからコップ片手に私に向かって歩いてきたのです。

(岩手の平藤さんですね)

(は、はい)

でも面識はありません。

(お会いできるのを楽しみにしてきました)

(は、はあ)

まったく心あたりがありません。

(写真を見ていたので、すぐにわかりましたよ!

 九州の〇〇県のものです。

 体協いわての記事、おもしろかった!)

聞けば、第83号(平成30年12月)の「理事長あいさつ」のことでした。

「体協いわて」は全国の体育・スポーツ協会にも送られています。

それをお読みになったようです。

実は、

その号は、ちょっと工夫したのです。

全国のスポーツ・体育協会の広報誌も、私たちのところに送られてくるのですが、

同じころに発行されるものは、時節がら国民体育大会の成績が特集され、

誌面冒頭のあいさつも、どこの広報誌もにたりよったり。

後半に詳しくあるから、無くてもいいんじゃないか…と思えたりするのです。

ということで、書きっぷりをエッセイ風にしてみたのです。

 福井しあわせ元気国体ホッケー競技少年男子の、岩手(選抜)と富山(石動高)の試合を応援していた時のことです。自分のゴール前から相手陣にボールを戻そうとした富山チームの選手の打球が、短かったのです。私には、彼のミスとしか見えませんでした。

思わず「ラッキー」という言葉が口から出てしまったのです。

 スタンドでは、ご家族の方々をはじめ岩手を応援している方々がたくさんいらっしゃいました。その中のお一人、たぶん選手のお母さんの言葉が耳に入ったのです。

「ナイスプレッシャー!

 〇〇君が、遠くからでもあきらめずにプレッシャーをかけ続けたから、

 相手の選手がうまく処理できなかったんだ。

 〇〇君、ナイスプレー!」

 確かに、多くの選手が自陣に戻ろうとする中、相手に向かっていった選手がいました。応援席の女性は、自分の子どもでは無いその選手のプレーをほめていたのです。

 自分の言葉を恥じるとともに、取り巻く方々も含めた岩手のホッケーのレベルの高さを再認識しました。

 さて、第73回国民体育大会(福井しあわせ元気国体)を振り返ってみます。

 天皇杯(男女総合)順位の目標を「20位台、東北トップ」として臨みました。結果は、天皇杯24位、東北最高順位(宮城30位、山形34位、秋田38位、青森42位、福島44位)という成績で目標を達成し、優勝も昨年を上回る7競技11種目(昨年8競技8)と嬉しい報告をお届けすることができました。

 これは、選手・監督、トレーナーなどの皆さんの努力の成果であり、応援してくださった県民の皆さまのご支援の賜物であると感謝しております。

 しかし、天皇杯得点は昨年から186.5点減、率にして昨年比83%(939.5/1,126.0)と大幅に落としており、競技力の低下は否めません。

 地元国体から2回の国体を経過しました。その間の国体入賞状況から競技団体の状況が見えてきたように思います。

 具体的には、強化体制が整備された団体と、岩手国体での成果が一過性だった団体の二つです。岩手国体以前には連続入賞がないものの、岩手、愛媛、福井と3年連続入賞を果たしている競技は、国体を契機とした選手強化の体制が整ったととらえています。

 一方、岩手、愛媛での連続入賞が途切れた競技もあり、国体に向けた一時的な強化体制から抜けだすことができなかったのではないかとみています。

 次の50年後のイベントを待つのではなく、ホッケーのような応援ができる体制を目指し、次の50年間を見据えて動き始めたいものです。

(原文は2段組み、理事長写真付き→この下線部をタップ

最近、褒められることがないので、大変うれしかったのでありました。

工夫してみるものですね。